U みやびを描く
伊勢物語が後代の文学にはかりしれない影響を与えたことは、言うまでもありません。その力は美術・工芸の分野にもおよび、数々の作品に「昔男」の面影を宿すことになりました。ここでは、書物の挿絵として描かれた例をお目にかけます。絵師それぞれの創意工夫をお楽しみください。なお、5伊勢物語画帖は昨年当館に収蔵されたばかりの資料です。
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伊勢物語画帖 江戸時代前期制作 折本1冊
新しい仕立ての折本(縦33.2、横24.2糎)11折りに絵22枚を貼る。間合紙(縦23.6、横16.4糎)に薄藍霞引・金銀雲形・金箔散らし、濃彩の所謂奈良絵。
伊勢物語51段以降最終125段までの22図が残る。江戸時代前期制作の奈良絵本伊勢物語のうち絵のみが伝わり、画帖にまとめられた。これとは逆に、絵を失い本文だけ残った例が(参考b)伊勢物語である。図柄から、慶長13年(1608)初印の嵯峨本伊勢物語を手本としたものであること、上下2冊の内下冊分の絵であること、奈良絵本化に際し細部での工夫や変更が行われていること等を知りうる。
82段「水無瀬の鷹狩り」・83段「小野の雪」を中心に展示。主人公と惟喬親王の風雅な交流を語る有名な章段である。手本となった嵯峨本伊勢物語がおっとりとした大和絵の風情をたたえているのに対し、掲出の絵では樹木や画中画(襖絵など)に当たりの強い漢画の技法が見られ、狩野派をも学んだ絵師の作であることが推測される。
(参考a)覆嵯峨本伊勢物語 元和頃(1615〜1624)刊 袋綴2冊
雲母にて梅・蔦を刷った砥粉色紙表紙(縦27.0、横19.1糎)は嵯峨本の遺風を伝える。下冊末に「慶長戊申/也足叟」で終わる識語を載せるが、これは古活字版の刊語を襲ったもの。伊勢物語の古活字版は嵯峨本として高い評価を得ている美麗な典籍であり、慶長13年(1608)5月版以下同15年4月まで、少なくとも4種9版が出された。その人気のほどが偲ばれよう。
掲出本は、上記諸版の内第2種イ版に依拠し、本文挿絵とも忠実に覆刻、江戸時代初めの伸びやかな気分を味わうに足る。なお同種の版本には5色料紙を用いた例もある。嵯峨本伊勢物語は特に挿絵の点で後代に大きな影響を与え、8伊勢物語 豆本のような形のかわったものでも、やはり嵯峨本の系譜につらなる。
(参考b)伊勢物語 絵未挿入本 寛文2年(1662)写 洋装本1冊
羊皮紙に似せた紙表紙を持つ洋装本だが、典籍の本体は列帖装(縦25.9、横19.0糎)、上下2冊を1冊に合本。料紙は上質の斐。四周に紙漉時の耳が残るので、最終的な仕上げに至らず伝来した書物を、洋風の装丁でまとめたのであろう。墨付上冊分58丁、下冊分72丁。奥書「寛文弐暦/蘭涼日 源由輔書之」は書写時のものと見てよい。筆者源由輔は未勘。
所々に文字のない半丁があり、そこに絵を入れる豪華な奈良絵本となるはずであったが、いかなる事情か完成しなかった。絵入本が制作途中のまま伝来したり、あるいは絵入本から絵を抜き取って本文だけが残った例は、しばしば目にする所である。展示箇所は5伊勢物語画帖と同じく83段「小野の雪」。左側の何もない面に美麗な絵が入ったところを想像してください。
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伊勢物語 松会版 万治2年(1659)刊 袋綴2冊
紗綾形に蓮華唐草の艶刷紙表紙(縦27.6、横18.8糎)左肩に題簽「絵入/伊勢物語註入 上(下)」を押す。原装ではあるが、表紙文様は分明ではない。見返本文共紙。本文は四周単辺(縦22.3、横16.1糎)、毎半葉12行26字程度。下冊末に「近代以狩使事為端之本出来」以下流布本の奥書を掲げ、「万治二年仲夏吉辰 松会開板」の刊記。ただしこの1行は埋木であるから、先行する、おそらくは寛永ころの版があったろう。
松会の出版物は一体に稀少性が高く、掲出本もかなり珍しい部類に属する。初印ではないが原装、刷も精良、用紙また上質である。さらに挿絵の入れ方がすこぶる変わっており、1面を4区画に割る方式はちょっと類を見ない。古朴な味わいの画風も魅力である。
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伊勢物語 宝暦6年(1756)柏原屋与市刊 月岡丹下画 袋綴2冊
縹色無地紙表紙(縦27.1、横18.7糎)中央に子持ち枠題簽「新板絵入/伊勢物語 上(下)」(縦19.5、横3.4糎)。本文四周単辺(縦21.6、横15.7糎)に
巻頭口絵の彩色は後人の手すさびであろう。版心文字なし。下冊末に刊記「宝暦六丙子/年初冬吉辰/画工 月岡丹下/彫刻 藤村善右衛門/書肆大坂心斎橋筋順慶応町柏原屋与市版」とあり、絵師のみならず彫師も判明する。
大柄で表情豊かな描写が掲出本の絵の特徴。物語本文に絵を添えたと言うよりは、絵主体の構成である。百人一首に採られて名高い「ちはやふる神代もきかず」の106段を展示する。見開き画面にゆったりと描かれた貴人たちの姿態には、美人画に秀でた月岡丹下(本田昌信、1711〜1787)らしいやわらかさが見て取れる。
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伊勢物語 豆本 文政2年(1819)河内屋長兵衛刊 袋綴1冊
砥粉色地に檀紙風の皺を寄せた紙表紙(縦11.0、横7.9糎)や薄紅地に金箔を散らした見返しは後補。本文本文四周単辺(縦7.1、横5.6糎)に11行21字程度刻す。末尾に刊記「文政二乙卯年霜月/浪華書林心斎橋馬労町河内屋長兵衛」。手のひらに収まるかわいい書物となっており、昔から愛好者が多い。
同版を使い薄様に刷ったやや小振りの本も併せて展示する。4伊勢物語断簡と同じく東下り八つ橋の段を開いた。薄様刷りの方が贅沢な特製本であるけれども、一般に薄様は印刷が不鮮明である。
V 古注釈さまざま
長く人々に愛された伊勢物語は、平安時代以来さまざまの研究が積み重ねられ、膨大な古注釈が生み出されました。時代ごとの、また読者それぞれの読み込みのあとが、典籍の形をとって現在に伝えられました。地味な、しかしこれも大切な領域です。
9 伊勢物語愚見抄断簡 近衛政家筆 室町後期写 台紙貼1葉*
毛羽立ちの見られる楮紙(縦22.7、横13.8糎)に8行書写。物語本文を大字で、注釈を細字夾注で写す。畠山牛庵の極札「近衛関白政家公まてくたり 〔牛庵〕」を添え、鑑定の通り近衛政家(1446〜1505)の筆跡と判断される。古筆切目安の「中四半 伊勢物語愚抄也」に相当。
小振りながら端正な書写面であり、特に本文と注釈をあわせて写すところが研究上重要であろう。現代の目から見れば、本文に注が付くのは当たり前のようであるけれども、一般に室町時代までの注釈書では、本文から目当ての語句を抜き出し(掲出の切では朱の合点で示される)、これに注を付す形なのであって、本文に注を組み込んだ例はきわめて珍しい。源氏物語では覚勝院抄・万水一露が同様の形式を採用、ただし後者は元来注のみであり、江戸時代になって本文が加えられた。一条兼良の撰にかかる伊勢物語愚見抄の長禄4年(1460)に初稿本が成立しており、一般に流布したのは文明6年(1474)再稿本だから、掲出の断簡は愚見抄の早い時期の資料であって、しかも本文・注釈兼備の特異な形式を持つ点、研究上の価値が高い。
10 伊勢物語古意 宝暦頃(1751〜1764)写 袋綴6冊
藍色布目紙表紙(縦27.0、横19.0糎)は原装か否か不明。左肩に素紙題簽を押すが落剥多し。題簽に「伊勢物語古意 飛(〜無)」と墨書、「飛」以下を朱にて「一(〜六)」と修正、勿論「飛」は「ひとつ」の意である。料紙、楮紙。本文毎半葉9〜11行、全6冊を数人の寄合書とするが、どの部分を誰が書いたか正確に区分することは難しい(『伊勢物語古注釈コレクション(5)』の田中まき氏解説では、6人の分写、第4冊と第6冊の一部は賀茂真淵筆、本文の訂正も真淵とする)。
第6冊終わりの本文は「その程の歌にや有けん」、加藤千蔭筆本は「このほどの歌にや」、寛政5年(1793)上田秋成校訂の版本は「其ほどの歌にや有けん」とし、掲出本は版本とほぼ同じであり、しかもこれ以下を欠く。おそらく末尾に少なくとも1丁の欠脱があるらしく、今はかけた丁に掲出本の成立事情を語る文言が記されていた可能性もあろう。書写者の特定・本文の検討など、今後に残された問題は少なくないが、やはり重要な伝本であることは言うまでもない。
巻末識語および付属資料によると、岸上安敬が入手し、国学者中村秋香に伝わり、秋香の子息春二氏の手を経て穂積家に贈られた。付属資料は、中村秋香自身の由来書と穂積歌子刀自の覚書を一冊に綴じたものである。なお、帙外題は本居豊穎の筆。本学名誉教授岩佐美代子博士が歌子刀自鍾愛の孫女にあたられる縁で、穂積家からご寄贈いただいた。
真淵自筆の意見もある第4冊から65段を展示、あわせて帙も示した。白墨の塗沫訂正、・細字の注・朱書き入れなど、確かに自筆稿本らしい風趣を湛えている。
11 伊勢物語拾穂抄 延宝8年(1680)長尾平兵衛刊 袋綴4冊
藍色無地紙表紙(縦26.7、横19.3糎)左肩に素紙題簽(縦19.0、横3.6糎)を押し、「伊勢物語拾穂抄 一(〜四)」と刷るのは、原装のまま。全5巻のうち第4・5巻を合冊し、4冊仕立て。見返し、本文共紙。料紙、楮。本文は四周単辺(縦22.2、横17.2糎)、毎半葉12行24字程度(総説)、頭注を主として伊勢物語愚見抄(9伊勢物語愚見抄断簡参照)・伊勢物語肖聞抄などの諸説を要領よくまとめるのは、北村季吟(1624〜1705)の他の著作と同様である。
最終冊末尾に「延宝八庚申年中秋吉辰 長尾平兵衛」の刊記、ただしこの部分埋木と思われ、伊勢物語拾穂抄が世に出た年次を示すものではない。他に藤野九郎兵衛刊本・無刊記本があり、最初出は太上天皇(後西天皇)叡覧を語る跋文の年紀「寛文癸卯孟夏吉辰」(1663)に近い時期であり、無刊記本を初印としたい。
展示箇所は107段末尾〜109段、右面終わりから3行目「風ふけばとはに波こす」の「とは」左右に声点(アクセント・清濁の符号)が見え、「とば」の読みがあったことを示している。
12 伊勢物語系図 紅梅文庫(前田善子旧蔵) 江戸時代前期写 袋綴1冊
縹色雷文繋ぎ艶刷り紙表紙(縦21.7、横15.5糎)は原表紙だが破損多く、大幅な補修を加える。左肩に銀泥下絵題簽(縦11.4、横3.0糎)を押し、「伊勢物語系図」と書く。本文同筆。墨付7丁、遊紙前1丁。
物語の登場人物を系譜化し、各々の略歴を添えたもので、漢字には丁寧に振り仮名(ひらがな)を施す。系図線・句読点は朱。作品を読み解くために登場人物の系図をつくることがしばしばおこなわれ、特に源氏物語の系図は種類が多く、その一つを(参考)
源氏物語古系図断簡
に示した。他に狭衣物語・栄花物語等の系図もあるが、伊勢物語系図は比較的数が少なく、掲出本はなかなかの善本であろう。この系図では物語の中の人々に実在の人物を重ね合わる享受方法が伺え、虚構の人物を話の筋に従って系譜化した源氏物語系図とは異なる。
巻末に「勝富」の丸印、巻首に「紅梅文庫」方形印、いずれも朱文。「勝富」の印については未勘、紅梅文庫は善本の収集をもって知られた前田善子女史の所用である。書物に限らずどの領域でも、概して女性のコレクターはごく少ない。まれにあっても、質量ともに残念ながらひどく見劣りするのが常、したがって和歌・物語から説話・史書・有職故実に至る壮大かつ精良の蔵書を築きあげられたその見識と熱意とは、特筆に値するものである。良寛禅師の筆跡を思わせる蔵書印の文字は近代日本画の巨匠安田靫彦の手、名工香取秀真の鋳造にかかる。残念ながら、前田女史は平成19年4月18日亡くなられた。
(参考)
源氏物語古系図断簡 伝冷泉為相筆 鎌倉時代後期写 台紙貼1葉*
藍内曇斐紙(縦27.1、横14.2糎)に淡墨界2条を施し、物語の登場人物を系譜化する。江戸時代の古筆伝書に見えないが、田中塊堂編『昭和古筆名葉集』の「源氏系図雲紙高九寸三分」に相当。
源氏物語系図は、三条西実隆(1455〜1537)が整えたものと、実隆以前の古系図に2分され、掲出の切は勿論古系図に属し、人物配列の点で伝為氏筆本と大略一致、しかし細部の異同もかなりある。なお伝称筆者を藤原為家(1198〜1275)とする断簡もあるが、書写年代からは為相(1263〜1328)が近い。
三条上とは頭中将の女雲居雁のことで、実隆本系図では「夕霧大臣室 雲居の雁とくちずさみし人」の如く、簡略な説明のみだが、掲出の断簡は「おさなくよりむばの三条の宮にやしなは/れて夕霧大臣と共にをひいで給きそれ/より御こゝろかよひけるにや雲井のかりも/わがごとやとくちずさみ給し人也ふぢの/うらばにおとゞ宰相中将ときこえし時父/大臣ゆるしきこえ給」と詳しい。
W 古写本の魅力
楽しみとして読むにせよ、詮索のために読むにせよ、とにかく書物がないとお話になりません。したがって伊勢物語享受の歴史はまた、書物を書き、印刷する歴史でもありました。手で写した書物の迫力、あるいは魅力を、お楽しみください。近代以前の印刷された書物すなわち版本につきましては、機会を改めて展示したいと考えております。
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伊勢物語 伝小堀遠州筆 室町時代後期写 列帖装1冊
藍色地に唐草を織りだした緞子表紙(縦17.5、横17.9糎)、外題なし。金砂子・小桜の金泥下絵見返し、いずれも後補か。料紙、斐。毎半葉8〜12行と不定、行間に勘物、行頭に集付等を持つ。和歌2字下げ2行書き。神田道伴の極札と折紙を添える。折紙には「伊勢物語六半本全一冊/右/小堀遠州政一筆証札別有之/代金十五両/神田道伴(印)癸丑臘月上旬」とあり、享保18年(1733)の鑑定と思われる。
伝称筆者小堀政一(宗甫、1579〜1647)は茶人・作庭家として著名、定家様の名手としても聞こえた人物で、署名と「甫」印のある伊勢物語の写本が伝わる(内閣文庫)。しかしそれは掲出本とはまったくの別筆で、本文も定家系諸本とは一致しない。「む・ん」の書き分け、勘物のあり方、筆跡等の特徴から、現在知られていない定家筆の伊勢物語がかつて存在し、それを模写したのが掲出本であると考えられる。定家本の初期の状態を示す可能性のある、研究上の重要資料。黒柿に金字の箱入り。展示箇所は14伊勢物語 伝飛鳥井雅俊筆本と同じく初段。
(参考)伊勢物語 新写本(鈴木知太郎博士) 袋綴1冊
茶色無地紙表紙(縦26.6、横18.5糎)左肩に「伊勢物語」と墨書するのは書写者鈴木知太郎博士(1899〜1977)自身の筆跡と思われる。法橋玄津本(天理図書館現蔵)の上から硫酸紙様の料紙を乗せて透き写しにしたもの。写真が十分に身近なものではなかった時代、研究者にとって一字一字手で写すことが学問の第一歩。それが碩学を生む土壌でもあったろう。鈴木博士から松尾聡博士(1907〜1997)へ贈られ、さらに池田利夫博士を経て当館の所蔵となった。
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伊勢物語 伝飛鳥井雅俊筆 室町時代中〜後期写 列帖装1冊
金茶地に唐草の金襴表紙(縦14.4、横15.3糎)・金銀装飾の見返し・首尾の遊紙は共に後補。表紙中央に金泥下絵題簽(縦9.4、横2.2糎)を押し、定家流の筆跡で「伊勢物語」と墨書。本文とは別筆、改装以前の古い外題を襲用したものであろう。やや薄手の斐紙に毎半葉8行14字程度書写、和歌1字下げ2行書き。本文と同筆の勘物・巻末に在原業平の略伝を付す。墨付き104丁。ほぼ全丁に朱の注書き入れを持つけれども、一度水をかぶったらしく、薄れて判読困難。
掲出本を納めた塗箱蓋裏に古筆家と思しき手の「飛鳥井雅俊卿筆伊勢物語/墨附百五丁」の張り紙。飛鳥井雅俊(1463〜1523)の筆跡とはいえないが、おおよそその時代の書写であり、室町時代典籍の一典型であろう。定家本系天福本の本文を持つが、117段「むつまじと君は白浪みづがきのひさしき世よりいはひそめてき」の「いはひ」に「思イ」と異同注記をするが、この注記に相当する本文を見ない。
15 伊勢物語 近衛信尹筆 江戸時代初期写
列帖装1冊
藍色地に雷文・牡丹唐草を艶刷りした紙表紙(縦30.3、横20.3糎)は、古雅かつ堂々の装丁。その中央に金銀泥下絵(縦17.0、横3.5糎)を貼り、本文同筆にて「伊勢物語」と墨書。見返し、本文共紙。厚手上質の斐紙に毎半葉10行22字程度書写、和歌2字下げ2行書き。最後の歌「つゐにゆく」は散らし書きとして変化を持たせる。巻末に根源本と武田本の奥書を写し最後に「右両本奥追書加之畢」と記しており、掲出本が依拠した本文には奥書がなかったらしく、他本から奥書を移写したことを言う。
闊達な書風は近衛信尹(1565〜1614)の筆跡(陽明文庫長名和修氏の見解)であり、規制の枠にとらわれない行動力と才気が、この筆端にもうかがえる。本阿弥光悦・松花堂昭乗と共に寛永の三筆と呼ばれるが、信尹は寛永以前に薨じている。近衛流の始祖にふさわしく、雄渾自在、各章段冒頭に繰り返し出てくる「むかしおとこ」を「無加之男」「六香子於東虚」等と書き分け、漢字と仮名の交ぜ書きにも工夫を凝らし、見る者を飽きさせない。16
伊勢物語 寛永13年(1636)写本もまた近衛流の書風を示す。展示箇所は最終段。
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伊勢物語 寛永13年(1636)写
列帖装1冊
海松色無地絹表紙(縦25.2、横18.3糎)は原装と思われるが、外題落剥して糊跡のみ見える。表紙右肩に「3/伊勢物語/寛永十三年書写」と朱書。料紙、斐。墨付88丁、遊紙前1丁。本文毎半葉9行15字程度、闊達な近衛流で堂々の書きぶりである。和歌2行書、最初の行1字下げ、次はさらにもう1字下げ。細字の勘物あり。一時期列帖装の綴糸が切れていたらしく、大和綴(結綴)風に上下2箇所で括った痕跡を残す。
87丁オモテより「抑伊勢物語根源」から始まる定家本系根源本第2類の奥書を「伊行所為也不用之」まで載せるが、定家の名や本奥書の年号はない。88丁ウラに書写奥書「于寛永十三暦也/八月中旬/藤原朝臣/康純〔花押〕」。書写者藤原康純については未勘、ご存じの方はお教えいただきたい。
展示箇所は97段末尾〜99段冒頭、右面に「さくら花ちりかひくもれおいらくの/こんといふなるみちまかふかに」の業平詠が見える。注目すべきは、各行の首尾に針であけた穴を持つこと。書写の整正を目的として施された目印(針目安)であり、書写年が確定出来るこの種の資料として、書誌学的におもしろい。ガラス越しでわかりづらいかもしれませんが、がんばって見つけてください。
(担当 文学部教授 高田信敬)