解題
I ことばをかたちにー物語絵ー
大部の物語から、どの場面を選び、どのように描くか。苦心の作も「絵にかきおとりするもの・・・物語にめでたしと言ひたる男女のかたち」(枕草子)などと、揶揄されてはたまりません。注文主の趣味に従ったり、伝統を重んじたり、流行の装いを取り入れたり、絵師それぞれの創意が大小の画面に込められています。
1 源氏物語絵 浮舟 安土桃山時代写 1軸
縦26.1、横21.5糎の色紙型大和絵を古雅な裂地にて表装。衣紋・面貌ともにこまやかに描かれ、念入りな賦彩が美しい。登場する男女は浮舟と薫、その視線の先に寒々とした宇治川の風景が広がる。事情も知らず久方ぶりに宇治を訪れた男と、匂宮のことで心曇る女が顔をあわせる場面である。絵はあくまでも静謐、心理は複雑をきわめる。「山のかたは霞へだてゝ、寒き州崎に立てるかさゝぎの姿も、ところからはいとをかしう見ゆるに、宇治橋のはるばると見わたさるゝに、柴つむ舟のところどころゆきちがひたる」に相当するが、柴舟は描かれず、画面左上方の中州に「かさゝぎ」ならぬ鷺が立つ。源氏物語の伝本によっては、「かさゝぎ」を「さぎ」に作り、また「かさゝぎ」のままでもこれを鷺と解する説が古注以来あって、絵師が物語を誤読したわけではない。
なお、当該場面を絵画化した具体例は管見に及ばないが、『源氏物語絵詞』(室町時代後期写、大阪女子大学)はこの箇所を抜書する。また、『源氏物語画帖』(土佐光吉作、京都国立博物館)総角と構図・人物描写が酷似し、密接な関連が予想される。
仮名の書家として、また古筆・古写経の研究者として知られた田中塊堂(1896?1976)の箱書。
2 源氏物語絵 空蝉 江戸時代中期写 額装 1面
金箔雲霞型押し文様をあしらった縦57.8、横47.3糎の極彩色大和絵。碁に興じる伊予介の後妻空蝉と継子軒端荻を光源氏が透き見する有名な場面であり、緑青・朱等の豪華な彩色に細かい描線が冴える。画面手前の襖のところに空蝉の弟小君と源氏、左手奥に空蝉と軒端荻、そして袿姿の女房が控える。元来は屏風の一部であったか。贅を尽くした全体像がしのばれる。
3 奈良絵本源氏物語 賢木・明石 江戸時代前期写 列帖装 2冊
(参考)慶安版絵入源氏物語 慶安3年刊
金泥にて土坡・秋草・霞等を描く紺表紙下絵は、巻ごとにその内容と関連を持たせ、縦24.0、横17.7糎の原装に朱題簽が映える。金布目紙の見返し、精良な斐紙を本文に用いた料紙に毎半葉10行17字程度に写し、賢木64・明石54丁。絵の前では散らし書きとして、余白の生ずるのを避ける。
天地に縹色霞引を施し、顔料を厚塗りした素朴な奈良絵が各冊8・6面あり、その構図はすべて慶安3年(1650)山本春正刊絵入源氏物語の挿絵に一致し、本文もまた慶安刊本に従う。版本に先行する奈良絵本も勿論数多く存在するが、掲出本の如く版本を基とする奈良絵本には、栄花物語(明暦刊小型本に依拠、東海大学桃園文庫)・長恨歌絵巻(やうきひ物語に依拠)等がある。
4 十帖源氏 江戸時代前期刊 袋綴10冊
縦27.5、横19.8糎の縹色紙表紙に紗綾形・唐草空押し。中央に原題簽「十帖源氏 一(〜十)」。雛人形の細工を家業とした俳人野々口立圃(1595〜1669)は書・絵・文章いずれにも長じ、版下や挿絵を作成して源氏物語の梗概書『十帖源氏』を生み出した。大斎院(おおさいいん)選子内親王から新しい物語の創作を求められた紫式部が、琵琶湖に浮かぶ月を見て須磨の巻を着想するという有名な伝説を巻頭に掲げ、ついで源氏物語本文の抄出、巻末には六条院・二条院の図・登場人物系図、さらに立圃の跋文を載せる。手軽に物語の全体を通覧しうる便利なものだが、なにより131面もの古雅な挿絵によって評価が高い。
掲出本は無刊記、しかし「万治四年卯月吉辰 荒木利兵衛」の刊記を持つ伝本があって、成立の下限は万治四年(1661)となる。さらに跋文の表現から、立圃還暦の承応3年(1654)までしぼりこめるであろう(渡辺守邦説)。
源氏物語梗概書の多くは連歌・和歌の軽便な参考書として編まれたが、この『十帖源氏』は、「年来心にしめて・・・よしある所々に絵をかきそへ、我身ひとつのなぐさめ」(跋文)としたもので、立圃の物語への愛着が自ずから一書にまとまったといえよう。同じく立圃により姉妹編『おさな源氏』が作られ、寛文10年(1670)に刊行、こちらには120面の絵がある。
5 源氏物語絵巻 伝狩野探幽原図 天保2年(1831)写 巻子本3軸
各巻それぞれ縦28.6、横約38.0糎ほどの料紙を13・20・21紙継ぎ、1紙1図で合計54図を収める。したがって源氏物語各巻1図のはずだが、橋姫に2図あり、椎本には絵がない。上巻冒頭に幅約5糎の素紙を継ぎ「源氏五十四帖 探幽」と墨書、以下の幽遠斎識語と同筆であり、やや汚れの見られるところからすれば、元表紙の一部あるいは端裏書を切り取り、貼り継いだものか。さらに「五十四帖/引歌/山路露(中略)以上六十帖/探幽法印筆/天保二卯年十月中旬/幽遠斎写」の1紙、下巻末に同じく「天保二卯年十月中旬/幽遠斎写」の識語。幽遠斎については不学にしてその伝を明らかにしえないが、探幽と一字を共有することや手慣れた漢画の描法等より判断して、狩野派に属する絵師であろう。そして『椿図』(都立央図書館加賀文庫)扉にも「幽遠斎写」の文字が見え、賦彩と筆跡から掲出絵巻と同一人の制作例をいまひとつ追加しうる。
前記諸識語によれば、巨匠狩野探幽(1602〜1674)の原図を天保2年(1831)に幽遠斎が模写したことになる。しかし上巻冒頭の「引歌/山路露・・・以上六十帖」の記述は慶安3年山本春正刊絵入源氏物語に対応し、絵柄も基本的に一致する。したがって幽遠斎の模写活動は信じられるとしても、原図作者を探幽と考えることには無理があり、慶安刊源氏物語をその原点に想定すべきであろう。なお中巻に順序の混乱・図の入れ替わりが見られる。詳しくは『源氏五十四帖絵巻で見る源氏物語』(平成4年11月)参照。
さて慶安刊源氏物語の挿絵は大和絵風の縦長の構図が基本であり彩色を欠くが、絵巻では当然横長画面となり、人物や室内の情景より風景部分を重視してゆったりと展開するところ、あるいは打ち込みの強い描線や品のよい淡彩等に、
絵師の工夫を看取することができよう。掲出の絵巻と酷似する内容の画帖が近年市場に出、そこにも「原本狩野探幽筆 源氏五十四帖模写」の貼紙があるので、両者の間に密接な関連が予想される。
6 源氏物語双六
一鶯斎国周画 幕末?明治初期刊 1舗
縦70.8、横80.6糎の大画面上部右「そのゆかり」、左「源氏春古六」の題。左下に「応需 一斎国周」、「亀遊堂近久板」と刻す。全体を大小20に区画した所謂「まわり双六」で、直接源氏物語によったのではなく、「山名館」の文字が見える所からも明らかなように、文政〜天保(1818〜1844)に大流行した柳亭種彦『偐紫田舎源氏』(にせむらさきいなかげんじ)を題材とする双六。上がりは、光氏を囲む女性達のにぎやかな場面である。長く実際の遊びに使用されたらしいが、状態よく彩色もまた古雅、江戸の雰囲気を今日に伝えている。
国周(1835〜1900)は、浮世絵の伝統を守った最後の絵師として近年とみに評価の高い人物。豊原国信に弟子入りし、のち三代豊国にも学ぶ。奇行に富み、居を移すこと83回は葛飾北斎ばりである。
II ふでのあとー時代と個性ー
ひとりひとり顔かたちが異なるように、その筆跡もまたさまざまです。そして本当に不思議なことですが、各時代にはそれぞれ固有の書風があって、1点1点の「ふでのあと」に、筆者の個性は勿論、個性を超えた「時代の顔」が刻印されているのです。鎌倉の爽快な書から作家の息づかいが伺われる近代の書まで、多彩な表情を読み取ってみましょう。
7 源氏物語断簡 総角 伝後京極良経筆
四半切 (個人蔵) 鎌倉時代中期写
台紙貼 1紙
縦24.2、横15.9糎の斐紙に白界を施した冊子本1面分8行、朱点あり。朝倉茂入の極札を付す。藤原良経(1169〜1206)筆とは認められないが、確かに後京極流の力強い書風であり、紙質からも鎌倉時代中期の書写と推される。河内本系の本文を持ち、朱点も河内本の特徴を示すところが、研究資料として貴重である。河内本系最善本と目される尾州家本(蓬左文庫所蔵)は、正嘉2年(1258)奥書を備えながら種々の疑問が呈され、その書写年次を引き下げて考えなくてはならず、むしろ掲出の古筆切の方が先行するのではなかろうか。
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8 源氏物語断簡 賢木 伝為家筆大四半切 鎌倉時代中期写
軸装 1幅
縦30.3糎ほどの大型列帖装冊子本断簡2葉を合装。向かって右側5行(幅10.0糎)は賢木後半の桐壺院周忌法要に続く場面、左側8行(幅16.6糎)は前半光源氏野の宮訪問であって、物語の進行に即していない。呼び継ぎの際、貼り誤ったのであろう。掲出の断簡は極札を持たないが、ツレには伝称筆者として藤原為家(1198〜1275)の名が与えられており、ほぼその時代の書写。河内本系本文の特徴を示し、朱点も河内本にふさわしいものであるが、朱点は向かい合う面のそれが映ったり、装?段階で流れたりして、明瞭を欠く。鎌倉時代書写の源氏物語には、おおまかに分類して縦横16糎程度の本(升型本)・掲出断簡のように縦30糎に及ぶ大型本・それらの中間の長方形の本(四半本、7の伝後京極良経筆断簡がその典型)の3種があり、大型本の場合、ほとんどが河内本系本文を伝えており、本文系統と書物のかたちに強い相関性を指摘しうる。
9 源氏物語 夕顔・紅葉賀・賢木 室町時代初期写 列帖装 3冊
縦27.1、横21.0糎の本文共紙表紙。素朴な風合いの厚手楮紙を用いた大型列帖装。表紙中央に「ゆふかほ(?さか木)」と打ち付け書き、墨付き29・43・64丁、いずれの冊にも首尾に遊紙各1丁。本文は青表紙本系だが、夕顔の巻に一部分別本と共通する異文あり。朱の傍注も本文と同筆の如く見え、中世の享受の仕方を具体的に知る手がかりとなる。夕顔・紅葉賀は表紙全体にやや汚れが目立ち、かなり早くから賢木とは別に保管されてきたことをうかがわせる。
夕顔・紅葉賀に付属文書2通。1通は宝永7年(1710)5月晦付、古筆了音に鑑定を依頼し、下冷泉持為(1401〜1454)の筆跡と極められたことを記す。もう1通はこの宝永の書付を三宅宗円のものと判定した大正4年(1915)の備忘。3冊共、持為の筆跡に似るが別筆、むしろ正徹(1381〜1459)風である。
3冊のうち賢木は30年ほど前当館に入り、夕顔・紅葉賀の2冊は昨年末獲るところとなった。宝永7年には夕顔・紅葉賀の2冊が一括して伝えられており、それ以前に賢木とは離れていた。したがって少なくともおよそ300年間別々に伝来した典籍が、ここ鶴見の地で落ち合ったことになる。これは、ちょっとした奇跡と言ってよい。賢木の巻は、その堂々たる風格によって購入当初から当館所蔵の源氏物語諸本中異彩を放つ存在であったが、僚巻2冊と再会し、一層その輝きを増す。
10 源氏物語 松風 里村玄仲筆 慶長19年(1614)写
列帖装 1冊
白地に網・州浜を藍刷りした縦24.2、横17.4糎の紙表紙、金銀泥の薄と銀箔の月で装飾した題簽「まつかせ」をその中央に押す。本文料紙、斐紙。毎半葉10行20字程度、最終丁ウラに「宗?老依所望不省悪筆書写畢/慶長十九年初秋中旬/法橋玄仲」の書写奥書、おそらくこの巻だけを写したのであろう。筆者里村玄仲(1578〜
1638)は紹巴の次男、その筆跡に父親の面影をとどめる。
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11 源氏物語若菜下抜書 中院通茂筆600 江戸時代中期写
巻子本 1軸
藍地に瑞雲・龍等を織り出した金襴表紙、外題なし。古い象牙軸を用いた装幀。縦30.2糎、横48.5の斐紙8枚継ぎ、さらに別の1紙を足して、正徳4年(1714)中院通躬(1668〜1739)の加証奥書及び古筆了信の極書を添える。通躬が「此一巻、先人故内府‐公筆跡也(以下略)」と記すように、その父通茂(1631〜1710)の筆。通茂は歌人・歌学者として名高く、著述すこぶる多い。徳川光圀と親交のあったことでも知られる。
源氏物語若菜下から六条院女楽の場面を抄出し、本文は青表紙本系三条西家本とよく一致。やわらかくゆったりとした書風で散らし書きするところ、下れる時代とは言え、さすがに公家らしい風趣が感じられる。 |
12 梗概源氏物語 与謝野晶子自筆原稿 大正?昭和初期写
折本 2帖
満寿屋製原稿用紙71枚を台紙貼りし、折本とする。明治45年(1912)2月『新訳源氏物語』の刊行開始、その後一層原典に忠実な訳を試みたが、膨大な草稿は大正12年(1923)9月の関東大震災にて惜しくも焼失、さらに稿を改め昭和13年(1938)『新々訳源氏物語』を完成する。与謝野晶子(1878〜1942)は、創作家として近代文学史上に燦然と輝く存在であるが、同時に国文学研究にも大きく貢献した。源氏物語に関わるこれらの仕事は、古典文学普及・啓蒙上の偉業と言えよう。
物語54帖を400字詰原稿用紙わずか71枚に破綻なく収め、時に女流作家らしい読みを示すなど、単なる梗概を超えた独自の味わいを持っている。縦横に加えられた推敲の跡に晶子の苦心が忍ばれ、総ルビゆえに原稿の表情も豊かである。昭和2年(1927)9月荻窪村へ転居する以前、富士見町時代の執筆であろう(池田利夫説)。
III 華麗なる書物意匠ー装幀と料紙ー
書物は、言うまでもなく読むものです。しかしまた、書物が具体的な「かたち」を備えた存在である以上、凝った表紙・紙の手触り・下絵や挿絵のおもしろさなどを楽しむものでもあるはずです。物語の内容には関心のない方も、古典籍に盛られた種々の工夫や贅沢な意匠を是非味わってみて下さい。
13 嫁入本源氏物語 江戸時代前期写 列帖装 蒔絵箱入 54冊
黒漆塗地に菊・薄・撫子等の金銀蒔絵を施し、金銀泥・螺鈿にて物語の巻名を記した贅沢な箱入。内部に2段3列の引き出しを組み込み、ここにも金蒔絵で巻名を書く。
縦23.7、横17.7糎の源氏物語本体は、金泥・金箔を用いてそれぞれの巻の内容にあわせた縹色地装飾下絵表紙。本文と別筆の金泥下絵絹地題簽・卍繋ぎ厚手金箔見返しも原態のままを伝える。ただし紺色の元糸を失い紫絹糸に替えられた巻あり。空蝉・夕顔・若紫・関屋・絵合・胡蝶にやや複雑な錯簡が見られるが、これはおそらく糸の取り替え時に生じたものであろう。本文は精良な斐紙に原則として毎半葉10行に写すが、花散里・関屋・篝火の3帖は8行とする。分量の少ない巻の丁数を増すための配慮。奥書・識語等なし。全体を2人で寄り合い書きし、まま朱の句読点・合点あり。本文は青表紙本系肖柏本・三条西家本に近い。箱から装丁の細部まで手間をかけた嫁入本。さぞかし豪華なお輿入れであったろう。
14 嫁入本源氏物語 江戸時代前期写 列帖装 12冊
紺色地に秋草・蓮池・土坡等を描いた金泥下絵の原表紙。縦24.0、横18.0糎。表紙中央に具引白地題簽(縦12.7、横2.2糎)を押し、定家流の手にて「絵合(〜手ならひ)」と書く。本文料紙、斐紙。毎半葉9行20字程度、近衛流を学んだかと思われる書風で、全冊一筆書写。書入れなし。絵合・松風・藤袴・梅枝・藤裏葉・夕霧・御法・幻・橋姫・宿木・東屋・手習のほとんどは青表紙本だが、梅枝巻は河内本独自の異文がまじる。また手習は明瞭に河内本の特徴を示して貴重であるが、惜しいことに全4括りのうち最後の括りは蓬生巻の末尾が錯綴されており、完全ではない。綴じ方から見て、早く江戸時代に綴じ誤りが生じたのであろう。欠本ながら、本文のおもしろさに加え、各冊趣向を凝らした見返しが書物の味わいを高めている。
15 龍文刷題簽源氏物語 江戸時代前期写 列帖装 54冊
縦15.4、横15.5糎の升型本紙表紙は、薄藍にて鱗形・市松・七宝繋ぎ等の文様を刷り、金銀泥の下絵を施した気品高いもの。中央に金泥雲竜紋刷り題簽を押し、定家流の筆跡で巻名を記すが、桐壺・花散里・薄雲などは題簽表面が剥離、概して表紙より題簽の痛みが激しく、改装にあたって以前の外題を襲用した可能性もある。見返しは銀切箔蒔き金銀泥霞引の瀟洒な意匠とする。本文料紙、斐紙。
数手の寄り合い書き、奥書・識語等はない。墨書校合若干。若菜下の巻末に檀紙1葉を押し墨書。それにしたがえば、藤裏葉・若菜上・同下は一乗院尊覚(1608〜1661)の筆と言うことになる。尊覚は後陽成天皇第10皇子、興福寺一乗院門跡となった。掲出本は他の筆跡資料と比較して尊覚以外の手であろうが、ほぼ同時代の書写と思われる。青表紙本系三条西家本に近い本文を持つ。
16 伝近衛信尋筆 花宴抜書 江戸時代前期写 巻子本1軸
茶地に紅葉・鹿を織りだした金襴表紙、縦29.3糎。外題なく、金布目紙見返しに近衛信尋の筆跡であることを墨書した小紙片を貼る。本文料紙は白具引き斐紙を布目打ちし、金泥にて遠山・水辺・松・秋草等を描く。随所に蒔かれた細かな銀箔が美しいアクセントとなっている。全10紙におおらかな散らし書き。巻末に和漢朗詠集から子日29・31・32を抄写。
信尋(1599〜1649)は後陽成天皇第4皇子、近衛信尹(1565〜1614)の養子となり、関白従1位に至る。信尹譲りの名筆で闊達な近衛流を得意とした。掲出本はその筆跡に似てはいるが信尋筆とは認めがたく、若干下った同時代の能書と見ておくのが穏当であろう。
源氏物語花宴の巻から、右大臣家の藤花の宴で朧月夜と再会するところを抜き書きする。しかしその抄出法は相当自由な省略をともなうもので、冒頭部「右大臣家藤の花のえんに桜二木をくれたるいとおもしろきに」は、原典では「右大殿のゆみのけちにかむたちめみこたちおほくつとへ給てやかてふちの宴したまふ・・・をくれてさくさくらふた木そいとおもしろき」とあり、梗概書『源氏大鏡』の類を用いたとも考えられる。豪華な料紙に堂々たる近衛流が映え、見応えのある典籍となっている。
17 墨流料紙源氏小鏡(個人蔵) 小堀鞆音旧蔵 江戸時代前期写 巻子本 1軸
縦34.4糎の大型巻子本、横約63糎の墨流し斐紙6枚継ぎ。巻頭に「鞆音蔵」の朱印があって、栃木県出身の日本画家小堀鞆音(コボリトモト、1864〜1931)の旧蔵と知られる。大和絵の画技とともに有職故実をも学んだ鞆音は、的確な時代考証に支えられて格調の高い歴史画を多く残す。東京美術学校(現 東京芸術大学)教授・日本美術院会員として活躍し、その門から安田靫彦・川崎千虎が出た。
淡い色調の墨流しは複雑な模様を自在に描き、超絶技巧と言うほかない見事なもの。『源氏小鏡』をゆったりと写し、おおらかな書風と変化に富む墨流し料紙の調和が魅力である。残念なことに夕顔・若紫・末摘花のみ、いずれの巻の分も不完全。本文系統は古本系、ただし改訂本系諸本「うばそくがおこなふ道をしるべにてこむ世もふかきちぎりたがふな」(夕顔)の第5句を古本系は「ちぎりたえすな」とするが、掲出本は「ちぎりわするな」に作り、これは例のない異文。
IV 遊び心ー享受のひろがりー
源氏物語は、勿論どこを読んでもおもしろい作品です。そしてひとの遊び心は、作品のおもしろさを多様に、広く深く開拓してきました。物語とはなんの関わりもなさそうに見えるほど源泉から離れてしまった事例であっても、そこには自由な発想と平安文華への憧れがあふれています。
18 源氏物語歌留多 江戸時代末期刊
読札・絵札共107枚
絵札縦6.9、横4.8糎。読札はやや小さく縦6.0、横4.0糎。各54帖分すなわち108枚あったはずだが、絵札1枚を失って107枚存。絵札を入れる袋に「甘泉堂 錦朝楼」と刷られているので、芝神明前の地本問屋和泉屋市兵衛刊行、歌川国虎の絵と推測される。和泉屋市兵衛は喜多川歌麿・安藤広重らを世に出した名書肆、歌川国虎は初代豊国門下の異才で現在ほとんど風景画しか残っておらず、歌留多の小画面ながら大首絵風に人物を描くところ、この絵師としては珍しい作例と言えよう。
絵柄は源氏物語とは関連が薄く、江戸の草紙類たとえば『偐紫田舎源氏』(にせむらさきいなかげんじ)の挿絵に近い。読札に「春ははやなじみになりぬ門まつのまだ里にでぬ年のうちから」とある如く、遊里の風俗を主題とするものである。 |
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19 源氏かるた絵合 江戸時代末期刊 袋付1舗
縦39.0、横54.0糎の畳物。中央に琵琶湖と石山寺を描き、周囲を源氏物語の各巻にちなむ短冊型の絵54枚で埋め、総角結びの飾り枠をあしらう。源氏香と巻名を記した札を図の上にのせて遊ぶものであった(中野幸一『源氏物語の享受資料』)が、現在札を欠く。「湖月抄」「源氏かるたゑあはせ」と刷った袋が残っているのはうれしい。
中央画面左寄りに「洗心斎綾岡筆」の署名が見え、池田綾岡(通称奈良屋吉兵衛、1817〜1887)の作と知られる。綾岡は団扇絵を得意とし、能書でもあった。掲出資料は比較的早印かと思われ、他に「江戸日本橋榛原」の朱印を押すものや、明治20年(1887)再印本もある。前者の「榛原」は、おそらく団扇絵を通して交渉のあった幕末明治の団扇問屋兼本屋の榛原直次郎であろう。なお、この榛原刊行の遊戯具に「ひやくにんしゆまはりすごろく」(「ひやくにんいつしゆ」ノ誤植デハアリマセン!)があり、やはり池田綾岡の筆になる。
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20 源氏物語双六 江戸時代後期刊
うちやう1枚・袋綴28冊
縦7.0、横4.9糎の可愛らしい豆本に縦26.1、横42.6糎の遊び方説明書「源氏双六うちやうの事」を添え、若松模様の小形桐箱に収める。豆本1冊には源氏物語2帖分の梗概・代表歌・挿絵を刷るので、27冊にて54帖分、それに大意・目録1冊を加え、都合28冊。双六盤の図を描いた説明書によれば、この豆本を駒として用い、試合の最後に残った本の題簽の数字を合計して勝負を決める。おなじみの「まわり双六」
(6参照)ではない。
細部まで丁寧に作られた遊び道具であり、江戸時代相当好まれたらしく豆本のみは時折見かけるが、「源氏双六うちやうの事」や箱まで揃ったのはかなり珍しい。縹色表紙及び朱題簽は当時最も流布した注釈書『源氏物語湖月抄』にならったものか。掲出本に刊行年を示す文言はないけれども、寛延2年(1749)皇都新町吉田屋善五郎の刊記を持つ伝本があり、このあたりを初出と見たい。
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21 投扇興(個人蔵) 昭和前期制作 点式付1式
江戸時代後半の上方に生まれ、安永(1772〜1781)頃には関東で大いに流行、近代になっても粋な遊びとして特に花柳界でもてはやされた。箱状の台の上に「蝶」と呼ばれる的(まと)を置き、扇を投げて遊ぶ。的と扇の位置関係により点数を決めるので、それを図示し、源氏物語54帖の巻名と源氏香とをあしらった「点式」が付く。
この遊びの源流は中国の投壺にあり、わが国では正倉院に銅製の古い作例が残るし、また和名抄にも出てくる。的・台・扇は痛みやすく、「点式」だけが保存されることが多い。美人画に麗筆を揮った上村松園(1875〜1949)も点式の下絵を描いており、愛好家の間で珍重される。掲出の品は実際に用いられた投扇興よりかなり小さく、雛道具として製作されたらしい。扇の下絵と言い色刷りの点式と言い、繊細で凝った作りに驚かされる。
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