第105回貴重書展示                     
古今集1100年
人のこころを種として
                                
       
期間 平成17年4月19日(火)〜5月21日(土)
会場 鶴見大学図書館1階エントランスホール展示コーナー
 
鶴見大学図書館 主催
 紫式部学会・和歌文学会 後援
      
 
 
〜ご紹介〜 
文学史の奇蹟

 「やまとうたは、人のこころを種として、よろづの言の葉とぞなれりける」とは、よく知られた古今和歌集仮名序の書き出しです。
 誇り高く和歌の意義を宣言するこの序文に「延喜五年四月十八日」の文字が見え、成立時期を示すものかどうかにはなお異論があるにせよ、古今和歌集にとって大切な日付であることにはちがいありません。
 そして延喜5年(905)からかぞえて今年はちょうど1100年にあたります。明治以降愛好者が急に減った歌集を、読み直してみる絶好の機会でありましょう。古今和歌集がもしなかったら、日本文学の背骨とも言える勅撰集は勿論、多彩な私家集も歌合も、源氏物語も枕草子も、桜や紅葉につけて季節のうつろいを感じる伝統も−俳諧の季語につながります−、はたして生まれ得たかどうか、大いに疑問です。古今和歌集が好きか嫌いかはまた別の問題として、後世にはかりしれない影響を与えた点において、平安時代最大の古典、日本文学中屈指の古典ではないでしょうか。当時最も新しい歌のかたちを世に示した古今和歌集が、ただちに文学の規範となってしまったことは、前衛がそのまま古典に昇華する文学史上の奇蹟だと思われます。
 作品だけではありません。1000年以上の間作り続けられてきた古今和歌集に関する書物も、やはり「人のこころを種として」生まれた私たちの大切な財産です。今回の展示では、小さな紙面に深い味わいを湛えた古筆切・古今和歌集の写本と版本・古人の読みが刻まれた註釈書の3領域に区分し、平安時代から明治までの貴重書約20点を並べます。残念ながら当館所蔵の資料だけでは展示の筋道が立ちませんので、本学ゆかりの方々にご所蔵の古典籍を提供していただきました。ささやかなこの展示が、日本文学への関心を高め、国文学研究に少しでも役立つことを、心より願っております。 

  卯月中の十日    
                  鶴見大学図書館長 高田 信敬

  

                 

〜展示リスト〜

「古今集1100年 −人のこころを種として−」

古筆歌切の美
   古今和歌集断簡 関戸本古今集切      平安時代後期写    1葉◎
   古今和歌集断簡 今城切(藤原教長筆)    平安時代末期写   軸装1幅
   古今和歌集断簡 中山切(伝九条兼実筆)  鎌倉時代初期写    軸装1幅
   古今和歌集断簡 内裏切(伝藤原清輔筆)  鎌倉時代中期写    軸装1幅
   古今和歌集断簡 鶉切  (伝藤原顕輔筆)   鎌倉時代後期写    軸装1幅
   古今和歌集断簡 石見切(安倍寂恵筆)    鎌倉時代後期写 台紙張1葉◎
   古今和歌集断簡(伝小倉実名筆)          室町時代初期写    軸装1幅

写本と版本
   古今和歌集 零本 真名・仮名序      鎌倉時代後期写    巻子1軸
   古今和歌集(暦応2年吉田兼好奥書本)   室町時代中期写  列帖装1冊
10 古今和歌集(伝足利義政筆)              室町時代中期写  列帖装1冊
11 古今和歌集(契沖筆)                    延宝・貞享頃写 列帖装2冊
  (参考)文化9年刊模刻版本
12 古今和歌集(東園基量筆)                元禄頃写        列帖装2冊
13 古今和歌集 伝嵯峨本                    江戸時代初期刊   袋綴2冊◎
14 古今和歌集 松会版                      江戸時代前期刊    袋綴1冊
15 古今和歌集 絵入り本                   元禄頃刊      袋綴2冊◎  (参考)栄花物語抄出本
16 古今和歌集 袖珍本                      安永9年刊     袋綴1冊
  (参考)銅版古今和歌集

注釈さまざま
17 顕註密勘断簡 一色切(伝高階重経筆)   鎌倉時代後期写 台紙張1葉◎
18 古今伝授資料 大和郡山藩柳沢家旧蔵     塗箱入一括      袋綴21冊
19 古今和歌集両度聞書                     宝永6年刊      袋綴6冊◎
  (参考)寛永15年刊風月宗智版
20 古今和歌集正義                        嘉永2年刊      袋綴9冊
  (参考)香川景樹短冊
21 古今集序文義考(阪正臣影写)            明治13年写     袋綴1冊◎

     ◎=個人蔵
 

    
 
 
 
〜解題〜 PDF版
※古筆歌切の美
 典雅な筆蹟と料紙の魅力。
 古筆切は、国文学のみならず書道・美術史の重要資料です。初めて公開される断簡もありますので、古典籍中の珠玉をじっくりと賞翫してください。

 1 古今和歌集断簡 関戸本古今集切
    平安時代後期写 1葉◎
 薄茶色具引かと思われる斐紙(縦21・4、横16・7糎)に、古今和歌集巻8離別巻頭部分(365〜367)を9行書写。綴じ穴の痕跡は見えないが、汚れから判断して列帖装丁のオモテすなわち見開き左側か。内題「巻第八 離別歌」は前丁末にあったと思われる。この巻は従来1葉(372・373上句)のみが報告されていたので、ここに新たな断簡、しかも巻頭部分を公開出来るのは誠に喜ばしい。通常関戸本古今集切は藤原行成を伝称筆者とするが、掲出の切では末田幽碩の極札に「宗尊親王たちわかれ〔幽碩〕」とある。宗尊親王(1242〜1274)と極められた古筆に平安時代の名筆が多いことは、よく知られた事実。
 この断簡は江戸時代の初め頃までには関戸家伝来の冊子と離れていたらしく、冊子の分は加賀前田家から明治17年(1884)ころ関戸家へ移った。

 2 古今和歌集断簡 今城切(藤原教長筆)
   平安時代末期写 軸装1幅
 藍漉染斐紙(縦24.6、横15.9糎)に淡墨界を引き、巻10物名462・463を5行に書写。毎半葉6〜8行を定式とするが、掲出断簡の場合、最終行を削り落とした痕跡あり。古筆切の体裁を整えるためであろう。
 力強く重厚な書風は飛鳥井雅経(1170〜1221)の筆跡として珍重され、100枚以上伝存する。奥書部分(三井文庫蔵たかまつ帖所収)や諸雑記の記事により、藤原教長(1109〜1180)が治承元年(1177)写したものと考えられており、同筆と推定される資料に二荒山本後撰集・和漢朗詠集長谷切・伴大納言絵巻詞書等がある。料紙には白・藍・茶・黄の4色が認められ、掲出の断簡は藍地だが、その色調のやや強いのは裏打ち料紙の青色のゆえである。

 3 古今和歌集断簡 中山切(伝九条兼実筆)
     鎌倉時代初期写 軸装1幅
 金銀箔散らし・霞引き・緑青による下絵装飾を施した美麗な斐紙(縦16.5、横15.9糎)に巻2春下132(下句)〜134(詞書)を10行書写。 古今集を書き写す場合、上下2冊とするのが普通だが、中山切は4冊の列帖装写本から切り出された。巻11〜15の第3冊(九条家旧蔵)が原態のままに存する。
 掲出の断簡は金銀の華やかな装飾に後京極流の名筆が加わり、鎌倉時代初期を代表する優品となっている。本文は俊成本系、特に建久年本・永暦2年本に近い(久曾神説)。伝称通り九条兼実(1149〜1277)の筆跡と見る研究者もあるが、それよりは下った別人の手であろう。
 

 4  古今和歌集断簡 内裏切(伝藤原清輔筆)
     鎌倉時代中期写 軸装1幅
 精良な斐紙(縦24.1、横15.1糎)に巻1春上53・54を7行書写。本文と同筆の勘物あって所謂清輔本の特徴を示す。畠山牛庵の極札「六条家大皇太后宮大進清輔朝臣〔牛庵〕」(ウラ面記入なし)。勘物・注記等を持つ清輔本古今集断簡の伝称筆者は藤原清輔(1104〜1177)だが、南北朝の頃までの書写資料を見る(それ以降ほとんど写されなくなるようである)。掲出の切は古い方に属し鎌倉時代中期をさらに遡る可能性もある。

 5  古今和歌集断簡 鶉切(伝藤原顕輔筆)
     鎌倉時代後期写 軸装1幅
 雲母にて瑞雲・道士・芭蕉等を刷った斐紙(縦25.3、横16.8糎)に巻19雑体1005末尾・1006冒頭部分を9行に書き、墨継ぎを工夫し濃淡の差を意識的に作り出している。古筆了任の極札「藤原顕輔朝臣山あらしも〔守村〕」(ウラ面「了任」の印)と畠山牛庵の極札「藤原顕輔朝臣山あらしも〔牛庵〕」(ウラ面記入なし)を添える。
 院政期の歌人藤原顕輔(1090〜1155)を伝称筆者とするが、雲母による同種の料紙装飾が続後撰集長尾切・続拾遺集伊勢切等にも見られ、鎌倉時代後期の書写と判断される。

 6  古今和歌集断簡 石見切(安倍寂恵筆)
   鎌倉時代後期写 台紙張1葉◎
 四半の斐紙(縦25.7、横15.8糎)に巻14恋4の737(歌)〜740(詞書)を9行書写、墨による漢字・片仮名の書き入れ、朱の合点等あり。形式から言えば清輔本の如くだがそれとは一致せず、また定家本系勘物とも異なる。料紙左端上部に綴じ穴跡が見え、右下に手ずれがあるので、列帖装冊子本丁のウラ面と判断される。畠山牛庵(2代か)の極札「寂恵法師いまはとて〔牛庵〕」(ウラ面記入なし)。
 古筆家の鑑定通り順教房寂恵(俗名安倍範元、?〜1314〜?)の筆跡と認められ、他に古今集(書陵部・上野家)、拾遺集(上冊のみ、山岸家)等が冊子のまま伝来する。石見切も書き入れの有無によって少なくとも2種が区別され、寂恵の頻繁な書写活動を語る。寂恵は鎌倉幕府に陰陽師として仕え、将軍宗尊親王の和歌所の衆をも勤めた。

 7  古今和歌集断簡(伝小倉実名筆)
    室町時代初期写 軸装1幅
 矢羽根・草花等の下絵斐紙(縦22.3、横12.2糎)に巻2春下87〜89を8行書写。下絵部分に料紙の痛みが見られるのは、緑青または鍮泥を用いたゆえであろう。極札を持たないけれども、ツレに小倉実名(1315〜1404)と極めたものがあるので、それに従った。いずれの切にも朱の書き入れがある。実名の筆跡を確かめ得ないが、掲出の断簡はまさしく南北朝から室町時代初期の書風を示す。当時の装飾料紙は比較的珍しく、作例として貴重。
 
 

※写本と版本
 1字1字手で書く写本が基本的に1点限りの制作であることは勿論、木版印刷の版本も、現代の書物とは比較にならないほど少部数しか作られません。
元来希少な典籍は、制作者・購入者そしてこれを保管する人の深い思いに支えられて、今日に伝えられました。

 8  古今和歌集 零本 真名・仮名序 
     鎌倉時代後期写 巻子1軸
 金茶地に瑞獣を織りだした金襴表紙。本文は斐紙(縦25.3、横14.0糎)10枚に真名序(作者名紀淑望なく、末尾「等謹序」を欠く)、15枚に仮名序(「ほかにちかき世」以下欠)を写し、巻2春下78・79分の1枚を継ぐ。元来は四半列帖装冊子本か。真名序・仮名序・巻2春下それぞれ毎半葉6・10・8行書写。まま朱墨の書き入れあるも、朱は薄れて判読困難、墨書き入れは本文と同筆であろう。真名序に強い手沢が見られ、これを巻頭に持つ伝本であったらしい(通常は仮名序が最初に置かれる)。字句にも通行本とは異同が多く、筋切本・基俊本など平安時代伝本の系統に連なる。

 9  古今和歌集(暦応2年吉田兼好奥書本)
     室町時代中期写  列帖装1冊
 紺色地に菊・唐草等を織りだした金襴表紙(縦25.0、横16.7糎)、その左肩に龍文を刷ったかと思われる題簽の一部が残る。金紙に牡丹唐草を艶刷りした見返し。斐紙に毎半葉8(真名序)・9(仮名序)・10(本文)行書写、和歌1首1行書き、詞書2字下げ。朱の声点・合点のほか、同筆とおぼしき片仮名・平仮名の書き入れあり。墨付157丁。
 仮名序・本文・真名序の次に貞応2年7月22日藤原定家奥書を掲げ、さらに「本云/暦応二年六月廿四日壬子以/宗匠御本書写訖/同廿九日校合之  兼好/加朱点/判」 の本奥書を載せる。吉田兼好(?〜1352〜?)は徒然草の著者として知られるが、南北朝動乱の世にあって古典研究・書写を熱心に行い、歌書・物語の伝来に貢献した。掲出本は建武5年(1338)に続く古今集書写を語るもの。なお金沢文庫には兼好の筆跡に似た古今集序(朱点・朱註あり)を蔵し、また正木美術館にも伝兼好筆の古今集序断簡がある。
 
10  古今和歌集 (伝足利義政筆) 
      室町時代中期写  列帖装1冊
 萌葱色地に鳳凰・鶴等を織りだした緞子表紙(縦22.8、横15.8糎)、外題なく剥落の跡も見えない。立派な装丁だが、改装であろう。銀切箔を密に蒔いた見返しには白界が引かれているので、古写経の反故を利用したものと考えられる。斐紙に毎半葉7(真名序)・8(仮名序)・9(本文)書写、墨付166丁。和歌1首1行書き、詞書1字下げ、本文同筆らしき書き入れあり。巻17雑上885作者「あま敬信」に「よるかの朝臣母列子ニツカヘタテマツルナリ」は珍しい註記。真名序の後に貞応2年7月22日定家奥書を載せる。
 箱書「古今全部 東山殿御筆」、古筆了任(1629〜1674)の極札に「公方 慈照院殿義政公 古今和歌集 全一冊〔守村〕」とし、付属の古筆了仲折紙にも「古今和歌集/全部一冊/慈照院義政公/芳翰於外題/三条西実隆公/真痕無疑者也/金子十五枚(以下略)」とあるが、書誌的徴証から箱以下の資料は別の典籍に付属していたものと思われ、伝来過程で書物が入れ替わったらしい。しかし闊達な書風や註記、古雅な装丁など見所の多い本である。河越敏子(楓風)氏より当館に寄贈された貴重書のひとつ。

11  古今和歌集 (契沖筆)
     延宝・貞享頃写 列帖装2冊
 紺色地に黄・白にて花菱を織りだした緞子表紙(縦24.9、横18.1糎)、外題なし。金切箔・砂子を蒔いた見返し、本文は貞応本系統で、斐紙に毎半葉10行、和歌1首1行書き、詞書3字下げ。上冊は巻ごとに改丁し、全ての巻を丁のウラより統一的に書写するが、下冊は丁のオモテより写すことが多く、一貫した形式を持たない。
 下冊末に「此古今集全部二冊、契沖阿闍梨墨痕也、聊不渉議論者矣、文化元年三月、賀茂季鷹」の鑑定識語あり。賀茂季鷹(1752〜1841)が証する通り、碩学契沖(1640〜1701)の筆跡と認められ、契沖仮名遣いではなく伝統的な定家仮名遣いによっていることが注目される。良質の斐紙や緞子の表紙から見ても、学術的な意図とは別に作成された写本なのであろう。(参考)文化9年刊模刻版本によれば、掲出本には上田秋成(1734〜1809)の極書が付けられていたらしいが、惜しいことに現在これを欠く。詳しい解説を付した複製(池田利夫博士編『契沖筆古今和歌集』)も出された。

 (参考)文化9年刊模刻版本
 契沖手写本を底本として文化9年(1812)に刊行、編者は清水浜臣門下の河(革)島蓮阿(1768〜1835)である。蓮阿は契沖風の字をよくし、賀茂季鷹鑑定識語までも忠実に模刻するが、真名序を略し表記を契沖仮名遣いに改めている。

12  古今和歌集 (東園基量筆)  元禄頃写 列帖装2冊
 藍地に黄色の雷文・唐花を織りだした緞子表紙(縦25・0、横18・3糎)
、その左肩に金泥下絵の絹地題簽(縦17・1、横3・8糎)を押し、「古今和歌集 上(下)」と墨書。題簽には若干の痛みがあり、裏打ち補修済み。題簽の痛み方と表紙のそれとが一致せず、また外題の筆蹟と本文とは別筆なので、掲出本よりは古い題簽を再利用したものと考えられる。見返し、斐紙布目紙に金切箔散らし。内題「古今和歌集巻第一」(巻首)。本文は毎半葉10行、和歌1首1行書き、詞書2字下げ。天及び左右にゆったりと余白をとり、全巻1筆。厚手斐紙を用いた贅沢な写本である。墨付き上冊74丁、下冊77丁。遊紙首尾各1丁。小口3方に薄く金泥を引くのはやや珍しい。
 下冊末に闊達な署名「権大納言藤原基量」、筆勢も文字の大きさも異なるが、本文と同筆と見られる。筆者藤原基量(1653〜1710)は、園基任の次男基教を祖とする東園家の出身で、家の業である神楽のほか有職故実に詳しく、当時第一人者の誉れが高かった。元禄10年(1697)8月権大納言となり、同12年(1699)7月これを辞しているので、権大納言在任時の書写と判明する。他に奥書・識語等はないが、本文の特徴から貞応本系(二条家で使用した系統)と知られる。
 上冊末に「鍋島文庫」(朱文)、下冊末に「鍋島直紹」(白文)の印。肥前鹿島2万石を領した鹿島鍋島家の旧蔵。子爵鍋島直紹(ナベシマ ナオツグ、1912〜1981)は、政治家として著名であり、参議院議員・科学技術庁長官等をつとめた。

13  古今和歌集 伝嵯峨本  江戸時代初期刊 袋綴2冊◎
 雷文繋ぎに唐草を艶刷りした藍色紙表紙(縦26.4、横18・9糎)は痛みがあって文様不鮮明。表紙左肩に後補の素紙題簽(縦14.4、横2.9糎)を押し「古今和歌集 上(下)」と墨書。上冊巻首に1丁、下冊首尾に遊紙各1丁あり。本文毎半葉9行、和歌1首1行、詞書3字下げとし、本阿弥光悦(1558〜1637)風の書体をもって刻す。柱刻なく丁付はノドの部分に置く。墨付上冊85丁、下冊89丁。上冊は各巻丁ウラ面より、下冊は丁オモテ面より始めるのを原則とし、ために時として半丁以上の余白を取った贅沢な作り方をする。「安井文庫」「安井庸兄」の朱文印。下冊末に貞応2年7月22日の定家本奥書を刻するが、刊記はない。
 江戸時代初期版本の名物であり、その美術工芸的意匠と光悦流の書体によって知らられる「嵯峨本」のうちに掲出本を数えるかどうかについては、諸家の見解が一致しない。早く和田維四郎『嵯峨本考』が嵯峨本と認定し、川瀬一馬『嵯峨本図考』はこれを否定、しかし同『増補古活字版之研究』では旧説を改めて嵯峨本としている。「伝嵯峨本」と称するゆえんだが、書風が光悦流であることは勿論、料紙も比較的上質、版面もゆったりとして古今集最初出の版本たることを誇る。

14  古今和歌集 松会版  江戸時代前期刊 袋綴1冊
 紺色地に松・秋草・霞等の金泥下絵布目紙表紙(縦27.2、横18.3糎)、中央に題簽(破損あり、縦約19・1、横約3・4糎)を押し「古今和歌集 上」と刷る。版本としては豪華な表紙も題簽も原態をとどめるが、残念ながら2冊を1冊に改装。本文4周単辺(縦22.0、横16.3糎)15〜19行、和歌1首1行。詞書きは歌よりもやや細字とし、3字下げ。版心「古今和歌集巻上(下)  (丁付)」。最終丁左下に「孟春吉日」、四周双辺の枠の中に「松会開板」と刻す。まま朱の筆印と思われるものを上部欄外に押し、和歌の目印とする。
 近世前期すでに盛んな出版活動を行っていた上方に対し、江戸にあって新興の気を吐いた「松会」(松会堂)の刊行。市郎兵衛(2代目まで)・三四郎(3代目以降)を名乗ったこの本屋の出版物は、当該時期比較的珍しい江戸の本であること、師宣風の挿絵等によって人気が高い。掲出本には具体的な年紀を欠くけれども、「延宝弐甲寅年孟春吉日」の刊記を持つ版があり、「延宝弐甲寅年」を削った後印本と判明する。ただし版面の印象は延宝2年(1674)以前、明暦・万治(1655〜1660)あたりまで遡ってもよいように見える。

15  古今和歌集 絵入り本  元禄頃刊  袋綴2冊◎
 紺色地に銀泥草花下絵の布目紙表紙(縦22.9、横16.4糎)、中央に朱題簽(縦16.8、横3.6糎)を押し「古今和歌集 上(下)」と刷る。銀切箔散らしの見返しと共に相当凝った版本であり、原態をとどめて貴重。本文毎半葉14行、匡郭なし。和歌1首1行詞書3字下げ、版心に文字なく丁オモテのどの部分に丁付。墨付き上47丁、下54丁。下冊最終丁左端に「須原屋茂兵衛梓」の刊記あるも刊年不明、一応元禄(1688〜1704)頃の刻成と考えておく。刊記部分は埋木か。もしそうであれば、須原屋の求版本となる。本文は貞応本系。
 おもしろいのは上下冊とも四周単辺(縦19.4、横14.3糎)で囲んだ絵が各4丁あり、そのすべてが(参考)栄花物語抄出本の挿絵中に含まれること。栄花物語抄出本では見開きあるいはそれ以上の連続画面を展開するのに対し、掲出本では丁の表裏にしか絵はないので、本文のみの古今集が先行し、後に絵を入れて出版したものであろう。挿絵の影響関係を具体的に実証できる稀な例。

 (参考)栄花物語抄出本
 薄縹色無地布目紙表紙(縦25.9、横18.6糎)に藍色地題簽(縦19.1、横6.9糎)を押した原装本だが、やや後刷。栄花物語40巻を要領よく抄出ーただし巻15うたがひ・巻20御賀は全編収録ーして8冊とし、目録・系図1冊を添える。職業的版下書きとは異なる公家風の典雅な筆跡と、ゆったりとした絵柄が魅力である。
 諸版には、享保(1716〜1735)頃と言われる出雲寺和泉版、文化3年(1806)向井八三郎版、無刊記本に大別され、掲出本は版面の疲れ具合から見て、出雲寺版の刊記を削ったものであろう。なお、栄花物語抄出本の挿絵が古今集に流用されている事実をふまえれば、その初刻時期を享保より引き上げても良いように思われる。

16  古今和歌集 袖珍本 
      安永9年(1780)刊 袋綴1冊
 菖蒲・蛇籠等の下絵ある薄縹色絹表紙(縦8.2、横6.2糎)、左肩に「古今和歌集」と打ち付け書き。三代集すべて丁寧に改装される。間似合風の薄様料紙を用い、四周単辺(縦6.8、横5.0糎)中に毎半葉12行、和歌1首2行、詞書2字下げ。版心「序(一〜二十) (丁付)」。
 各巻ごとに丁数を改め、都合128丁。真名序末に「享保二丁酉年中夏書 守月亭源高尋」の署名を刻し、後見返しに「安永九年庚子初春再刻/華洛 植村錦山堂蔵」の刊記。
 掌中に収まる愛らしい小型本、後撰集・拾遺集と一括して伝来した。後2者の刊記は「寛政十年孟夏/皇都書林/出雲寺文治郎/遠藤平左衛門/吉田四郎右衛門」、「寛政十一年初秋発兌/皇都書舗・小川源兵衛/吉田四郎右衛門/須原屋平左エ門/出雲寺文治郎」である。巻首に「よし田/節子蔵書之印」の朱文印を押す。

 (参考)銅版古今和歌集
 薄縹色布目紙表紙(縦11.2、横7.8糎)の袋綴2冊。表紙左肩に題簽、四周単辺中に「古今和歌集蚊田蒼生/校訂上(下)」と刷る。薄様を用いた精緻な銅版印刷であり、三代集としてまとめて出版された。下冊後見返しに「延喜五年四月十八日出版/明治十八年九月廿日反刻届/奉勅 選者故人紀貫之・・・出版人江島伊兵衛」の刊記。「延喜五年四月十八日出版」「選者故人紀貫之」もおかしいが、各冊巻首に「鴻山文庫」朱文印の押されることに注意したい。鴻山文庫は、江戸時代以来の老舗碗屋(近代になって「わんや書店」)あるじ江島伊兵衛(1895〜1975)のコレクションで、その大半は能楽研究所(法政大学)に収まる。細かい説明を省略して結論のみ示すと、掲出本は江島氏が碗屋の出版史を調べるために集めた資料であり、刊記中の江島伊兵衛は先代に当たる。なお先代伊兵衛の実弟伊三郎は、明治のジャーナリスト岸田吟香(1833〜1905)とも交渉のあった銅版彫刻の名手なので、掲出本の制作に関与した可能性もある。
 
 

※注釈さまざま
 古人の読みの記録や、考証の集積が注釈となって結実します。
  膨大な注釈書の中には荒唐無稽な言挙げもないとは言えませんが、今日なお有益な本、あるいはとても珍しい書物をここではお見せします。

17 顕註密勘断簡 一色切(伝高階重経筆)
    鎌倉時代後期写 台紙張1葉◎
 銀紙覆輪ある斐楮混漉料紙(縦24.1、横16.1糎)に顕註密勘(歌学大系本256頁)を10行書写、手ずれから見て丁のオモテ面か。古筆了音(1674〜1725)の極札「従二位高階重経卿から錦〔琴山〕」(オモテ)、「切癸未三〔了音〕」(ウラ)を添える。「癸未」は元禄16年(1703)。
 顕昭(?〜1207〜?)の古今集解釈を基礎に藤原定家(1162〜1241)が家説・自説を加えた註釈で、後世に大きな影響を与えた。伝称筆者高階重経(1257〜1311)の筆跡資料が知られていないので掲出の切との同定はできないが、その時代の書風ではある。一色切は数の少ない名物切、ツレが翰墨城・藻塩草等に収められる。

18  古今伝授資料 大和郡山藩柳沢家旧蔵
    塗箱入一括 袋綴21冊
 大和郡山藩主柳沢保光(1753〜1817)ゆかりの古今伝授資料。全体は天藍地紫の打曇間似合紙表紙(縦28.0、横20.0糎前後)で統一され、古今秘伝(7冊)・古今余材抄(10冊)・後水尾帝勅伝古今秘訓(2冊)・古今和歌集〔聞書〕(2冊)より成る。
 古今秘伝と古今余材抄は武者小路実陰(1661〜1738)・慈雲飲光(1718〜1804)と伝えられた註、後水尾帝勅伝古今秘訓は風早実秋(1759〜1816)が柳沢保光の求めに応じたもの、古今和歌集〔聞書〕は日野輝資筆古今集聞書の透写本である。保光は日野家より古今伝授を受けた。

19  古今和歌集両度聞書 
      宝永6年(1709)刊 袋綴6冊◎
 紺色無地紙表紙(縦27.3、横19.5糎)の左肩に薄縹色題簽「古今和謌集抄 一(〜六)」、押し発装あり。内題「古今和歌集両度聞書 巻一(〜六)」、本文毎半葉11行、版心「古今抄巻一(〜六) (丁数)」。第6冊末終丁オモテに文明4年(1472)5月3日の東常縁識語を刻し、丁ウラに刊記「宝永六丑暦/九月吉日/柳馬場通二条下町/吉野屋権兵衛」。古今和歌集両度聞書には寛永15年(1638)版と万治2年(1659)版が知られており、刊記の丁のみの異同か。掲出の宝永版は稀少で原表紙・原題簽をとどめるが、当然ながら刷りはやや落ちる。
 掲出本は文明3年正月から4月、同6月から7月にかけて両度にわたる東常縁(?〜1484?)の古今集講釈を、宗祇(1421〜1502)がまとめたもの。宗祇はたびたび古今集の講義を行っており、この古今和歌集両度聞書が伝授活動の基本となったであろう。版本と写本系とでは内容が相当異なる。

 (参考)寛永15年刊風月宗智版
 紺色地に雷文・唐草を艶刷りした紙表紙(縦28.0、横20.4糎)、左肩に原題簽(縦18.0、横3.5糎)を押し「古今和謌集抄 三上」等と刷るが、落剥多く判読困難。刊記「寛永十五戊寅年仲秋吉辰/二条観音町風月宗智刊行」があり、古今和歌集両度聞書の初出版本である。
 
20 古今和歌集正義  嘉永2年(1849)刊 袋綴9冊
 白布目紙表紙(縦25.4、横17.9糎)左肩に四周単辺縹色題簽(縦18.4、横3.8糎)を押し、「古今和歌集正義序正文/総論一(〜冬九)」と刷る。第1・4・7冊には黄色の見返しが付き、「香川景樹大人著述/古今和歌集正義/序正文総論序東塢塾蔵」等と見える。本文四周単辺(縦20.3、横14.5糎)毎半葉9(総論)・10行。第3・6・9冊末に「東塢塾蔵/嘉永二酉年秋発行/弘所書林江戸日本橋通壱丁目須原屋茂兵衛(以下書肆名略)」の刊記。
 古今集の註釈として最も優れたもののひとつ。先行研究を咀嚼し、広く諸歌集を対校して本文批判に踏み込み、現代もなお意味を失わない。香川景樹(1768〜1843)生前には総論と序の注のみ刊行、没後巻6冬の部までが息香川景恒によって出版された。巻7賀以下は草稿のまま伝わり、明治28年(1895)景恒が20巻分の註釈を世に出す。跋文にしたがえば、巻7〜10は版本と同体裁に書かれ、所々に朱の訂正があったらしい。また巻11〜20は景樹の講義を熊谷直好(1782〜1862)が聞き書きしたものによると言う。

 (参考)香川景樹短冊
 天藍地紫の内曇斐紙に銀箔を蒔いた短冊(縦34.2、横5.4糎)。
  和歌2行書き、署名あり。
    「山さとの花の盛はかはらねと
     としとし人はこす成にけり 景樹」

21  古今集序文義考 (阪正臣影写)
      明治13年(1880)写 袋綴1冊◎
 縹色地に蜀江錦文様を艶刷りした紙表紙(縦26.0、横18.2糎)、その左肩に四周単辺の題簽(縦18.3、横3.9糎)を押し、本文と同筆にて「古今集序文義考堀翁著述完」と墨書。見返し本文共紙。透き写しのための薄様斐紙を用い、毎半葉9行書写。墨付56丁。朱・墨40種類以上にのぼる多彩な記号を駆使し、序文の組み立てを分析した特異な註釈である。分析手法は橘守部(1781〜1849)らの歌格研究に似る。巻末に堀秀成(1819〜1887)の跋、丁を改めて阪正臣(1855〜1931)書写奥書「此書明治十三年の頃伊勢のわたらひに/ありて堀秀成翁よりかりて写しおきぬ/三清書屋主人正臣」。
 著者堀秀成は古河藩士の家に生まれたが、家督を弟に譲って漢学・国学の他馬術・槍術等をも学び、音韻に詳しく伊勢神宮にも出仕した。掲出本は自筆原本のきわめて忠実丹念な写しとしてその意味は大きく、また能書をもって聞こえた国学者阪正臣との交流を証するものでもある。

(解題は高田が担当しました。事実誤認・記述の不適切等、是非ご批正下さい)