第106回貴重書展                     
中世文学会創立50周年記念展示

和歌と軍記

                                
期間 平成17年5月27日(金)〜6月18日(土)
会場 鶴見大学図書館1階エントランスホール展示コーナー
 
鶴見大学図書館
 
      
 
 
 
〜ご紹介〜
「和歌と軍記」展にあたって

 本学文学部は、昨年度40周年を迎えました。
初代の文学部長は久松潜一先生でした。久松先生が中世文学の分野でも大きなお仕事を残されたことは、周知のとおりであります。
 中世文学会50周年の企画の一環として、本学図書館で中世文学関係の典籍の展観を開催できますことは、一つの機縁であると思います。
 今回は、「和歌」と「軍記」を中心とした書目を展示いたします。
折しも『古今和歌集』から1100年、即ち『新古今和歌集』から800年に当たりますので、『新古今和歌集』の諸本に加え、新古今歌人の関わった歌合、そして久松先生が切り開き本学の研究の伝統にもなった京極派勅撰集の断簡等を出陳いたします。
 また軍記関係では最近話題の『平家物語』の諸本ならびに、近時少しづつ収蔵を進めております『曾我物語』の諸本の中からいくつかの伝本を、さらに現存最古写本のうちの一本と目される『御成敗式目』も初のお目見えとなります。
 どうぞ、この機会にご覧いただければ幸いです。
 

2005年5月 文学部日本文学科

この解題は、高田信敬、中川博夫、堀川貴司、伊倉史人、石澤一志が担当しました。


 
 
 
 
〜展示リスト〜

I 歌 書

1 新古今集断簡(伝藤原為家筆)             鎌倉時代中期写    軸装1幅

2 新古今集断簡 西山切(伝高倉清範筆)        鎌倉時代中期写    軸装1幅

3 新勅撰集断簡(伝二条為氏筆)                鎌倉時代後期写     軸装1幅

4 玉葉集断簡(伝後醍醐天皇筆)                南北朝時代写       軸装1幅

5 風雅和歌集断簡(尊円親王筆奏覧本)          南北朝時代写          1葉

6 閑谷集断簡(伝寂蓮筆)                      鎌倉時代前期写        1葉

7 大慈八景詩歌集断簡 畠山切             南北朝時代写          1葉

8 新古今和歌集 巻八 零本(伝後醍醐天皇筆)  鎌倉時代後期写    巻子1軸

9 新古今和歌集(上杉鷹山・伊佐早謙旧蔵)    室町時代中期写     袋綴4冊

10 新勅撰和歌集 上(伝後伏見天皇筆)       鎌倉時代末期写   列帖装1冊

11 新勅撰和歌集 下                            鎌倉時代末期写   列帖装1冊

12〔定家卿百番自歌合・家隆卿百番自歌合〕       室町時代末期写     袋綴1冊

13 時代不同歌合                                室町時代後期写   列帖装1冊

II 軍記と周辺

14 平家物語 零本                              室町時代末期写     袋綴2冊

15 平家物語                                    江戸時代前期写   袋綴12冊

16 異本平家物語断簡 長門切(伝世尊寺行俊筆)  鎌倉時代末期写         3葉

17 曾我物語 零本                              室町時代末期写     袋綴4冊

18 曾我物語 蒔絵箱入                          江戸時代初期写   袋綴12冊

19 曾我物語(伝飯尾常房筆)                    江戸時代前期写  列帖装12冊

20 八幡愚童訓断簡(後崇光院筆)                室町時代初期写         1葉

21 御成敗式目                                  鎌倉時代末期写     袋綴1冊

=個人蔵
 

                       
 

〜解題〜

I 歌書

1 新古今和歌集断簡 (伝藤原為家筆) 鎌倉時代中期写 軸装1幅
 藍内曇料紙(縦24.0、横9.6糎)に巻十三恋三1154・1155を写す。現在5行をとどめるが、毎半葉7〜8行の列帖装四半本であったか。

2首目の初句「あふまての」は通常「あすまての」に作る。
 内曇料紙を用いた伝為家筆新古今集断簡には、四半切1種(古筆学大成10)・六半切1種(古筆切目安)が知られており、掲出の切はいずれとも一致しない。
藤原為家(1198〜1275)の筆跡ではないが、ほぼ同時代か若干下る時期の書写であろう。
 
 
2 新古今和歌集断簡 西山切(伝高倉清範筆)
  鎌倉時代中期写 軸装1幅
 白斐紙(縦16.5、横9.7糎)に巻十羈旅900・901を写す。
 原態は縦17糎、横16糎程度の列帖装升型本で、毎半葉10行ほどに書写していたが、掲出の断簡では7行を残す。
新撰古筆名葉集には「石山切」とあるが、古筆家伝来の手鑑『藻塩草』に従って「西山切」と呼ぶ。ツレは巻十以降に限られ、上下2冊分写のうち下冊が分割されたのであろう。まま見かける金銀泥の下絵断簡は、後世の描き加え。
 小品ながら力強く個性的な風貌を備え、鎌倉時代前期にその書写年代を遡らせて考える研究者もある。
伝称筆者高倉清範(?〜1221〜?)は明月記にもしばしば登場する能書家で、その女に河内本源氏物語夢浮橋書写を依頼された禅尼がいる。
 
 
3 新勅撰和歌集断簡 (伝二条為氏筆) 鎌倉時代後期写 軸装1幅
 中心に折れ目のある斐紙(縦23.1、横13.9糎)を用いるが、原態は列帖装四半本。手沢から見て丁のウラ面。巻十七雑二1175・1176を8行に写す。新撰古筆名葉集為氏の項に「同(四半) 新勅撰歌二行書」に該当する名物切。
 二条家の祖藤原為氏(1222〜1286)の筆と伝えるが、少し下った頃の写しか。藤井隆・田中登『国文学古筆切入門』28にツレが掲げられる。古筆了音(1674〜1725)の極札を添え、その裏の「癸巳九」は正徳3年(1713)9月の鑑定たることを示す。
 
 
4 玉葉和歌集断簡 (伝後醍醐天皇筆) 南北朝時代写 軸装1幅
 斐紙四半切(縦24.5、横14.4糎)に巻十八雑五2508〜2510(詞書)を8行書写。本文は吉田兼右本と差がない。付属の桐箱蓋裏に「後醍醐天皇」と墨書した紙片を押す。
 古筆名葉集の類には記事のない切だが、古筆学大成11にツレ1葉を掲げる。闊達な書風は伝後醍醐天皇筆拾遺集香具屋切と似ており、それを根拠に掲出の断簡も伝称筆者を後醍醐天皇としたのであろうか。時代相応の鑑定であり、伝京極為兼筆長柄切と並ぶ屈指の本文資料と言えよう。
 

5 風雅和歌集断簡 (尊円親王筆奏覧本) 南北朝時代写 1葉
 上下に藍内曇装飾を施した斐紙(縦27.3、横12.1糎)を用い、巻八冬726(下句)・727を書写。歌1首をゆったりと2行に写す点、また当時最上級の料紙のひとつである雲紙を使用する点から見て、特殊な目的を予想させるものである。嘉右衛門の極札に「伏見院」とするが、その皇子尊円親王(1298〜1317)の筆跡。
  尊円親王が風雅集の正本を書写したことは看聞日記永享7年(1435)8月28日条に見え、親王筆の巻十七雑下の1葉、当館蔵の2葉、竟宴に使われたと思われる真名序と巻一末尾が伝来し、筆者の判明する勅撰集清書本として価値が高い。
 石澤一志「尊円親王筆『風雅和歌集』奏覧の断簡」(国文鶴見37)に紹介あり。今回は2葉の内1葉を展示する。
 

6 閑谷集断簡 (伝寂連筆)  鎌倉時代初期写 1葉
 やや粗い風合いの斐楮混漉き素紙(縦16.2、横15.1糎)に206詞書と歌を7行書写。ツレを検するに毎半葉9〜10行が原則なので、左端2行程度を削去していることになる。
全面に裏ウツリ、1行目「うつ」は補筆であろう。
 閑谷集は鎌倉時代初期に編まれた姓名未詳の僧の歌集で、成立時点をさほどくだらない古筆切が残るのは貴重。
 浅見和彦「『閑谷集』の作者ー西行の周縁・実朝以前としてー」(和歌文学の伝統)によれば、作者は牧四郎国親の息男。
 大英博物館所蔵手鑑中にも半丁分10行が貼られる(森井信子「大英博物館蔵「御手鑑」の報告」国文鶴見37)。
 

7 大慈八景詩歌集断簡 畠山切 南北朝時代写 1葉 
 藍内曇斐紙(縦32.3、横19.4糎)に上下金界(界高27.1糎)を引く。極札なし。
 裏に「二条殿良基公ト両筆ノ内/今川了俊筆/名物畠山切」「良基公」(別筆)の墨書あり。康暦二年(1380)、時の九州探題今川了俊が、日向国志布志の臨済宗寺院大慈寺からの眺望がすばらしいことを聞き、瀟湘八景にならった八景を選定させ、宗久に命じて京都の五山僧に詩を、歌人たちに歌を乞い、詩歌集としたもの。
 義堂周信の序、二条良基の跋があったらしいが、現在完本は伝わらず、詩のみの写本があり、和歌はこの畠山切と『為重集』所収の1首が知られるのみである。本断簡はこの集の新出和歌であり、成立に深く関わった宗久(紀行文『都のつと』作者)の出詠が確認出来るのも貴重である(文祐は未詳)。
 題は「野市炊煙」であろう。翻刻を付す。
「僧文祐/いちひともいまかへるらしをちこちのさとにゆふけの煙たつみゆ/僧宗久/名をかくす人やすむらし朝市にけふりをたてぬ草のいほりは」
 

8 新古今和歌集 巻八 零本(伝後醍醐天皇筆) 
  鎌倉時代後期写 巻子1軸
 焦茶色蔓草文様緞子表紙(縦23.5、横23.3糎)は損傷がひどく、紫平紐もごく一部を残すのみ。現在象牙軸の巻子本に改装され金銀箔散らしの豪華な裏打ちを施すが、元来横幅15糎程度、毎半葉8行書写の四半列帖装冊子本。巻八哀傷100首中巻頭部分(757〜811)および815下句〜818上句を欠く。撰者名注記・合点等なし。切り出し歌を持たない系統の本文である。
 金蒔絵「後醍醐天皇御筆」ある塗箱を桐の外箱に収め、寛文5年(1665)古筆勘兵衛の折紙と極札を添える。
 折紙には「這新古今和歌集八ノ内壱巻/一覧仕候 後醍醐天皇御/宸翰無紛者也・・・・・代金参枚可仕候(下略)」とあり、300年以上形態を変えていないことが推測される。
 伝称筆者後醍醐天皇(1288〜1339)と同じか、あるいは若干遡る時代の書写と思われ、速度感のある堂々の書きぶりは見事。
 

9 新古今和歌集 上杉鷹山・伊佐早謙旧蔵 室町時代中期写 袋綴4冊
 憲法色羅表紙(縦28.4、横20.1糎)。左肩に絹題簽(縦21.8、横3.5糎)を押し、「古写新古今和歌集 春(〜冬)」と墨書、本文とは別筆。現在扉紙が元の共紙表紙であったらしく、「新古今和歌集巻第一(第六、第十一、第十六)と記される(本文、外題とも別筆)。
 料紙、斐楮交漉紙。全体に虫損を蒙り補修済み。補修に際し天地、ノドの部分を裁断されている。毎半葉真名序10行、仮名序及び本文12行、和歌1首1行書。撰者名注記、隠岐本合点等なし。本文系統は第二類本、切り出し歌を8首含む。各冊巻首に「稽古堂蔵書」「伊佐早謙/古書之宝」の朱印あり。
 青磁色地に瑞雲の緞子帙に収め、帙見返しに「新古今和歌集 全四冊/右 鷹山公御手沢本也毎巻有稽古堂蔵書之御朱印可謹蔵/大正四年乙卯秋九月 伊佐早謙謹識(印)(印)」の識語あり。
 「稽古堂蔵書」印を米沢藩校の所用と見る説もあるが、藩校は稽古堂ではなく興譲館。蔵書印は上杉鷹山(1751〜1822)の号「稽古堂」を指すものと考え、上杉家史編纂に従事した郷土史家伊佐早謙の認定に従い、江戸時代屈指の名君鷹山旧蔵と判断する。
 

10 新勅撰和歌集 上 (伝後伏見天皇筆) 
   鎌倉時代末期写 列帖装1冊
 縦23.5、横15.3糎。浅縹地に瑞雲を織り出した金襴表紙。
 銀切箔を密に蒔いた見返しと共に後補。外題は無く題簽の跡もなし。
 内題は「新勅撰和歌集」(序)。全二〇巻を上下に分写した内の上冊10巻分。本文料紙は、斐紙。1面9行1首2行書。全10括から成り、墨付140丁(遊紙前一後五、一四六丁)。巻一春上46番歌二行分擦消跡あり、その理由不明。他にも数カ所、書き損じを擦消訂正し、作者を落として細字補入した箇所もある。
 本を収める桐箱の蓋表に「新勅撰上 後伏見院筆」と墨書。現在識語・極札・折紙の類は付属しないが、本文の最後に「墨付百四拾まい有」と書いた小紙片が貼り付けられており、古筆家による鑑定が行われたものと推測される。勿論、後伏見院の宸筆ではないが筆跡はその書流に連なるもので、書写年代は鎌倉時代後期から末期頃であろう。「月明荘」の小印が捺されており、古書肆反町弘文荘の手を経て当館に入ったもの。
 新勅撰和歌集は、第九番目の勅撰和歌集。下命は後堀河院で、藤原定家単独撰。寛喜二年(1230)に撰進の企てがあり、天福二年(1234)後堀河院が仮奏覧の直後に崩御、定家が悲嘆の余り草稿を焼却。その後、後鳥羽・順徳を始めとする承久の乱関係者の詠を百首あまり切り出すなど、複雑な成立過程をたどりつつ、文暦二年(1235)完成。新古今風の妖艶な歌は減少し、かわって平淡優美の詠が多いことから、定家晩年の歌観が看取される点が興味深い。幕府関係者に配慮して多数の武家歌人を入集させた為「もののふの八十氏川」との言葉つながりから「宇治川集」と綽名された。
 この集は成立過程を反映して草稿本第一類から精撰本第四類に分かたれるが、この本はそれらのうち第四類に属し、特に定家自筆の模本と相近い。

 
 
11 新勅撰和歌集 下 鎌倉時代末期写 列帖装1冊
 縦23.1、横15.2糎。表紙は萌葱色地に、金泥の霞引・草花下絵を描いたもので、楮素紙の見返しと共に後補。外題は無く、題簽跡も見られない。内題は「新勅撰和歌集巻第十一」。全20巻を上下に分写した内の下冊10巻分に相当する。
 本文料紙は斐紙。1面9行1首2行を原則とするが、8行もしくは10行の部分あり。二筆による寄合書で、25丁ウ4行目より手が変わる。全12括で、墨付159丁(遊紙前2後3、166丁)。訂正・補入若干、訂正は第二の手の部分に多い。虫損のほとんどない美本ながら、第五括の一部8丁分が第8括に誤綴され、巻十四恋四の893〜904すなわち12首2丁分落丁、巻十六雑一の1078を脱す(目うつりか)等、書誌的な欠陥が見られる。精選本第四類定家自筆本の模本に近似し、奥書・識語、極札・折紙などは付属しないが、書体と紙質から判断して、書写年代は鎌倉後期〜末期であろう。
 なお新造の桐箱に「新勅撰和歌集 巻下 〈藤原定家撰/鎌倉末期古写本〉」と墨書、筆者は森銑三。しかし本自体には反町弘文荘の「月明荘」印を持たない。
 
 
12〔定家卿百番自歌合・家隆卿百番自歌合〕室町時代末期写 袋綴1冊
 縦28.7、横20.5糎。表紙は雲母にて亀甲花文を刷った灰色布目紙で改装されたもの。外題は無く、題簽跡もなし。
 内題は「百番歌合 定家家隆両卿 左右略之」(巻首)、「百番歌合 定家卿自詠」(家隆卿百番自歌合の前)。書入・訂正少々。「百番歌合 定家家隆両卿」とあるも、『定家家隆両卿撰歌合』とは別で、標題の二作品が合写されている。見返しは本文共紙(元来遊紙であったか)で、本文料紙は楮紙。丁数18丁、遊紙なし。虫損跡著しいが、全て裏打修補が施されている。1面11行1首1行書。番数を歌頭に記す。極札などは付属しない。書写年代は、書風から推して室町時代の末期から江戸極初期か。
 『定家卿百番自歌合』は数次の改訂を経て成立したことが確かめられており、現存諸本のほとんどはその最後の段階を示しているが、掲出本は古い形をとどめる本文を持ち、大変珍しい。
 『家隆卿百番自歌合』は、40番右「さえ渡る」、88番右「月もよし」の二首を脱し、出典・詠作年次に関する注記を持たない。本奥書に「合点京極黄門禅門点也」と見えるが、合点は記されていない。定家、家隆各々が秀歌と思われる自詠200首を選び、百番の歌合にまとめたもの。当代一流の両歌人の、自己の作品に対する好尚を知る上で重要な資料である。巻末に「月明荘」の小印記があり、反町弘文荘の手を経たもの。帙外題に「定家家隆百番歌合/附家隆卿自歌合〈足利末期古寫/三条西家旧蔵〉」と墨書するのは、森銑三。旧蔵を示す印記・識語などは存しないけれども、種々の徴証から三条西家に伝来したと推される。
 
 
13 時代不同歌合 南北朝時代後期写 列帖装1冊
 縦24.5、横17.4糎。縹色紗綾形地に巻龍の金襴表紙。銀切箔を密に蒔いた見返し共々後補。外題は金泥下絵題簽に「時代不同歌合」と墨書、内題も同じ。料紙は斐楮交漉。1面8行1首2行書、字高は約22.5糎で、本の大きさに比べて見るに窮屈な観があり、修補の際に若干天地が切り落とされているか。全四括から成り、墨付70丁(遊紙前後各1、72丁)。奥書・識語等なし。巻末本文別手の薄墨で「すみ付七十枚」と書き付けがあるが、古筆家のものであろう。但し現在極札・折紙の類は付属しない。「月明荘」の小印あり、反町弘文荘の手を経たもの。重厚な木箱に収められており、箱蓋には金にて「時代不同歌合」と記す。
 時代不同歌合は、後鳥羽院の撰。八代集の歌人100名を選び、各人3首合計300首を左右に分かって150番の歌合とする。左方に古い時代の、右方に新しい時代の歌人を配するので「時代不同」の名がある。なお300首中100首以上を後鳥羽院自ら撰した『新古今集』より採っている。
 本文は前後二系統に分かれ、前稿本は文暦2年(1234)の、後稿本は嘉禎2年(1236)〜延応元年(1239)の成立で、掲出本は前者に属し、岩波文庫『王朝秀歌選』に翻字された書陵部本に近い。鎌倉期製作にかかる絵巻の類を別とすれば、同じく南北朝期書写の万里小路仲房筆本(静嘉堂文庫蔵)に次ぐ古さの伝本であろう。

 

II 軍記と周辺

14 平家物語 零本 室町時代末期写 袋綴2冊
 藍色無地紙表紙(縦22.4、横21.6糎)。中央に蝋箋題簽(縦15.0、横3.3糎)を押し「平家物語 巻一(二)」と墨書(巻一本文と同筆)。内題同じ。料紙、楮紙。毎半葉8行17字内外。漢字平仮名交じり。巻一、二とは別手で、巻一の方が老筆か。各冊、目録なく、また章段ごとの改行もせず書き通す。通常の分巻と同じく、巻一は「内裏炎上」まで、巻二は「蘇武」までを書写。両巻にわたり朱筆書入あり。早い時期に章段を示す合点と章段名(章段の切り方は必ずしも諸本と一致せず)、遅れて片仮名傍訓・圏点等を記入したと思われる。横幅を大きくとった堂々たる写本で、覚一本系統。室町時代に遡る伝本として貴重だが、惜しいことに三巻以下を欠く。

 
 
15 平家物語 江戸時代前期写 袋綴12冊
 原装紺地金泥下絵表紙(縦22.4、横21.6糎)。下絵は各冊図柄を替える。表紙中央に金霞引き斐紙題簽(縦15.2、横3.5糎)を押し、「平家物語 一(〜十二終)」と墨書(本文とは別筆)。見返し、金布目紙。料紙、斐紙。毎半葉10行21字内外。巻首に目録を付す。漢字平仮名交じりで、全巻一筆。巻十二に一方流覚一本系の特徴である「灌頂巻」の内容を持ち、章段の立て方・文言の異同等から流布本の一本としられるも、「灌頂巻」の標目はなく、「女院御しゆつけの事」から始めている。
 「保元物語/平治物語/平家物語」と銀蒔絵銘のある塗箱に収めるが、現在『平家物語』のみが存する。
 

16 異本平家物語断簡 長門切(伝世尊寺行俊筆) 
   鎌倉時代末期写 3葉
 厚手斐紙(縦29.8、横12.5糎、縦30.6、横14.8糎、縦30.2、横16.9糎)に各々6、7、8行書写。淡墨界(天地約27糎)を施し、毎行18字程度の堂々たる世尊寺流が映える。新撰古筆名葉集に「平家切 巻物 上下横罫アリ」と見え、長門切の呼称は古筆家伝来の手鑑において付けられたもの。世尊寺行俊(?〜1407)と極められるが、実際の書写時期はもう一時代遡るであろう。現在50葉以上の断簡が知られ、数手の寄り合い書きであることが判明する。
 おびただしい平家物語の伝本のうち、増補系特に源平盛衰記との関連が指摘され、その祖本的要素を持つ(藤井隆「平家物語異本平家切管見」松村博司先生喜寿記念国語国文学論集)。当館蔵の11葉のうち、巻二十七「源氏追討使事」と「屋島合戦付玉虫立与一射扇事」(2葉)の断簡を展示する。
 

17 曾我物語 零本 室町時代末期写 袋綴4冊
 改装藍色卍繋蓮華唐草文艶出表紙、縦27.0、横19.9糎。五つ目綴。料紙は斐楮交漉。毎半葉10行20字内外(巻一・七)、11行25字内外(巻五・八・九)、字高22.5糎、漢字をごくわずかに交える平仮名書き、二筆あり、それぞれ同筆の訂正書入あり。全12巻のうち巻一・五・七・八・九のみの零本で、巻九は巻五と合綴されているため、計4冊。外題後補題簽左肩墨書「曽吾物語 一(五、八)」「曽我物語 七」、内題「曽我物語巻第一」(目録)「曽我物語巻第五」(目録)「噌哦物語巻五」(巻尾)「曽我物語巻第七」(目録)「曽我物語巻第八」(目録)「曽我物語巻第九」(目録・巻首・巻尾)。巻五はじめの目録半丁分は後人の補筆で、その最初に「亨岳寿貞大姉御筆」とある。それ以降の冒頭と同巻後半、および巻九全体が一筆、残りが一筆である。後者は特に闊達自在な筆遣いで、安土桃山頃の雰囲気をよく伝える。漢語を含めてほとんどが仮名表記であること、筆写の一人が女性であるとの識語があることなど、享受史の面からも興味深い。本文は流布本系統に近いと見られる。
 

18 曾我物語 蒔絵箱入 江戸時代初期写 袋綴12冊
 原装紺色金銀泥下絵(松竹梅や四季の草花、動植物、水辺の風景など。第12冊には銀泥で富士山が描かれる)表紙、縦31.0、横21.9糎。料紙は厚手上質の楮紙。毎半葉10行24字内外、字高23.4糎、漢字平仮名交じり、同筆にて濁点・振仮名を付す。全文一筆。外題、中央に朱色金揉箔散らしの題簽(原)を貼り「曾我物語 一(〜十二)」と墨書。内題、目録・巻首・巻尾とも「曾我物語巻第一(〜十二)」。黒漆金蒔絵の内箱、杉白木の外箱あり。内箱蓋中央に金泥にて「曾我物語」、外箱蓋中央に打付墨書「曾我物語/沢菴和尚筆」とあり。伝来不明ながら、装丁・料紙・箱など、丁寧に調製された美本で、大名家クラスの所持品であったろう。
 まだ十分な調査は行われていないが、武田本乙本に近い本文を有すると見られ、本文研究上重要な伝本となる可能性がある。筆跡は公家や書家の能筆とは趣を異にし、連綿の少ない素朴な味わいのあるもので、外箱に記す筆者沢庵(1573〜1645)の和歌懐紙や書簡の書風に確かに通うものがある。
 

19 曾我物語 (伝飯尾常房筆) 江戸時代前期写 列帖装12冊
 原装紺地金泥下絵表紙(縦24.2、横18.1糎)。外題、表紙左肩に朱色地金泥草花文様下絵題簽を押し、「曾我物語巻第一(〜十二)」と墨書(本文とは別筆)。見返し、七宝・丁子等の模様を空押しした金紙。内題、「曾我物語巻第一(十二)」。料紙、斐紙。毎半葉10行。字面高さ、約19.2糎。全巻一筆の書写。黒漆蒔絵(雁に網代)箱に収める。同箱左肩に「飯尾常房書/曾我物語 十二冊」とあり、また、箱上蓋中央に貼付される極札にも「曾我物語 十二冊/飯尾常房書/室町家書吏/長禄三九月薨ス/了佐極札」とあるが、掲出本は江戸時代前期の写し、飯尾常房(細川成之被官。鳥飼流の書家。文明7年(1475)没。17年(1485)とも。
 極めの「長禄三」は誤り)を書写者に比定することはできない。本文を精査するに及んでいないが、巻九以降の目次標目の立て方は11行古活字版本のそれに一致する。
 

20 八幡愚童訓断簡 (後崇光院筆) 室町時代初期写 1葉 
 大四半切(縦26.9、横17.4糎)に10行28字程度書写、新撰古筆名葉集の「巻物切 真名カナ交り」にあたると思われるが、いずれの切にも巻子本の明証なく、掲出の断簡の場合料紙右下に手沢が見られるので、原態は後崇光院筆増鏡(前田尊経閣)のような袋綴冊子であろう。新撰古筆名葉集で巻物切とされながら、実際は大型冊子本である今川了俊筆伊予切が、類例として挙げられる。
  伝称通り後崇光院(1371〜1456)の書写と判断され、筆者の特定出来る点、八幡愚童訓本文資料として最古の部類に属する点が貴重である。本文系統は小野尚志『八幡愚童訓諸本研究』の甲類B、麦水本上10オ?ウに相当。
 

21 御成敗式目 鎌倉時代末期写 袋綴1冊
 改装栗皮表紙、縦20.4、横16.7糎。料紙楮紙。墨付66丁、遊紙なし。毎半葉5行11字内外、白界あり、界高16.9、界幅3.0糎。ただし、1丁おき、もしくは1丁の表裏交代で出現する。各丁原料紙は半葉ごとにばらばらで、全面裏打ち紙によって袋状にし、かつ裏打ち紙のみの部分を綴じ代に宛てている。これらを総合するに、原装時には粘葉装両面書写で、糊付き部分が痛んだため、各丁を表と裏に剥いで袋綴に改装したものであろう。巻首題「御成敗式目」。内容は式目本体51条(末尾起請文を欠く)に加えて、追加法のうち文暦2年閏6月28日条(『中世法制史料集』第1巻所収追加法の番号で73)、さらに「追加」と題して寛喜3年8月5日条以下16条(35・42・53・21・34・54・93・94・96・98・97・121・139・143〜5)を収める。なお、式目第25条末に追加第15条の摘略を付加し、追加第8条の途中に仁治元年(1240=本書成立の上限)11月23日条(152)を挿入する。
 なお最終丁裏1行目に「貞永□年□□□」とあるのは、本体末尾の年記を改装の際にここへ移動させたものか。世尊寺流を思わせる流麗な字体、古態をとどめる返り点や送り仮名から、鎌倉末期、遅くとも南北朝はじめ頃の書写と見られ、式目本文も同時代の写本と遜色ない正確さを持つ。
 また「追加」16条の配列は近衛家本追加ほかいくつかの伝本の冒頭と一致し、かつ条数は最も少ない(ただし本書は改装を経ているので後欠の可能性は考慮しなければならない)ことも、本書の由緒正しさを示すものであろう。今後の研究が待たれる。