第98回展示
 

展示リスト

筆触が語る日本近代文学(女性篇)

 「筆触」とは、筆ざわり(タッチ)という意味で使われてきた語であるが、ここでは作家達の創造行為・表現行為の開始点を意味するものとして用いたいと思う。ここで取り上げる「直筆原稿」は白い原稿用紙に向かって作家が表現を行うその瞬間瞬間を刻印したものである。それは多くの場合、印刷に回される前提として、書かれたものであるから、執筆の過程において幾度か推敲され、書き込みや書き換え、そして抹消線等が加えられてある。活字化されると同時に消滅するそれら混然たる「筆触」に接することで、作家達の創造行為に(想像的に)立ち会うことが出来るのである。「筆触」は又「筆蝕」とも言われ、斯界では有用なキーワードとなりつつあるが、「直筆」「肉筆」を参観する意味を、創作の現場に近づくことと言う点に集約して捉えることとしたい。
 小金井喜美子の「歌稿」や、森しげの「お鯉さん」のごとく、執筆者に近い著名人の添削を経た珍しいものはまさに特殊な例外として、多くのものは新聞・雑誌への掲載が目論まれていたために、編集者の筆が入っている。その多くは印刷に携わる人々への技術的な指示であるが、中には作家の文字の読みを明確にするための書き加え等も散見する。これらは作家達にとっては「最初の読者」のかかわり方を表す、とも言えるだろう。創造行為・表現行為が目指す他者との対話の(最初の)痕跡なのである。今、我々はこれらの「筆触」に耳傾けて、新たな対話を試みることが出来る!
 さて、わが国の文学は男女両性がそれぞれの特性を発揮して形成されてきたものであることは言うまでもない。本学図書館において所蔵されてきた重要資料のうち「直筆原稿」の筆者の相当部分が女性であることは当然自然の成り行きで、これが日本近代文学の、古典に連なる伝統的な一面を伝えるものであるのは間違いないだろう。ここでは女性篇として先ずは展観に供する次第である。
 与謝野晶子や長谷川時雨から、郷静子や金井美恵子まで、30点に過ぎない展示ではあるが、個性ある女性達の創造行為の現場に近づくことが出来るだろう。そのための案内を努めたのである。
 鶴見大学図書館員の方々のお導きのもと、鶴見大学大学院で日本近代文学研究を専攻し各領域で活動中の、相模久美子・野中なつき・石月麻由子・安西晋二各氏との相談のうえで、在学中の小原佳那子・森由美子・滝川義康の諸君とともに案内のための作業に携わり得たことを深い喜びとするものである。

                           文学部教授 内田 道雄
 


 
展観リスト

1.小金井喜美子   歌稿

初出;自家歌集『泡沫千首』1940.6

(1870-1956)森鴎外の妹。翻訳・小説・随筆と幅広く活動したが、日本の新体詩を発展させる契機となった『於母影』の訳者の一人として、特に知られている。展示原稿は、1940年自家出版された歌集『泡沫千首』に収録されたもので、朱の文字は、与謝野鉄幹・晶子夫妻の添削の跡(末尾に「寛/晶子/両人拝見」と明記されている)。添削の経緯については、晶子が『泡沫千首』にあてた序文の中で触れている。
 なお、阿部正路「小金井喜美子の歌」(「国学院雑誌」昭和58年1月)を見るに、この展示原稿は、以前、阿部氏の私蔵品であったと推される。

2.与謝野 晶子   賀頌(山田耕作作曲)

初出;女性1924.2.1 

作者は言うまでもなく、近代短歌をリードした存在で、初出誌の当号は、大正時代の皇太子・裕仁親王と良子妃とのご成婚記念号。本作はその雅歌として作られた。曲譜とともに掲載されている。
(1878-1942)歌人、詩人。大阪府堺生れ。堺敷島会の会誌に和歌を投稿したのが創作活動の始まり。東京新詩社に入って、明治33年5月号の『明星』に短歌「花がたみ」5首が載り、山川登美子らとともに注目されるようになった。西下した与謝野鉄幹に会い、ついに上京して彼のもとに走る。『みだれ髪』(明治34年8月、東京新詩社)は主に若き師たる鉄幹への思いを歌い上げた歌集である。結婚後5男5女の母となり養育に奮闘する中で数多くの詩と歌とそして童話等を作り、『青鞜』の賛助員となるなど、多くの後進の導き手となった。源氏物語全巻の現代語訳を進めた業績も大きい。

3.長谷川 時雨   続旧聞日本橋    

初出;東陽美術 1936.8-11

(1879-1941)劇作家、小説家。東京生まれ。佐々木信綱に師事して和歌を学んだのが文学的出発。処女小説「うづみ火」が『女学世界』(明治34年11月増刊号)に掲載された。戯曲の処女作が「海潮音」で、坪内逍遥の選を経て『読売新聞』(明治38年10月)に連載、41年新富座で上演された。爾後大正昭和に亘り、演劇界を中心に活動した。『長谷川時雨全集』全5巻がある。

4.森   しげ   お鯉さん
      
初出;三越 2-11号 1912.10.1

(1880-1936)森鴎外夫人。夫の勧めにより執筆活動にはいる。中でも嫁姑の確執を辛辣に描いた鴎外の「半日」に反応して執筆された「波瀾」は特に有名。展示原稿「お鯉さん」に見られる朱は、大正元年(1912)9月8日の鴎外日記に「妻の作お鯉さんを閲す」とあることから、鴎外のものと推される。なお掲載誌「三越」は、三越呉服店の機関誌で、しげはここに本作品の他に2編を発表している。単行本としては未収録。

5.岡田 八千代   俳優の家の色と好み

初出;不明。

(1883-1962)小説家、劇作家。広島生まれ。旧姓小山内。兄が小山内薫。『明星』明治35年8月号に発表の「めぐりあひ」が処女作。ついで小説「おくつき」(『婦女界』明治35年10月号)など。『青鞜』賛助員となり、森鴎外に親炙、その勧めもあって三郎助と結婚。長谷川時雨と雑誌『女人芸術』を創刊。戦後に亘り、演劇家として活躍。日本女流劇作家会を創立。昭和37年2月10日没。代表作は長編小説『新緑』、戯曲『黄楊の櫛』。他に名著『若き日の小山内薫』がある。

6.大村 嘉代子   紫流転―田村俊子の一生 

初出;婦人公論 号数不明

(1884-1953)劇作家。高崎生まれ。明治44年、岡本綺堂門に入る。出世作「みだれ金春」(大正9年5月、帝劇上演)以後昭和4年ごろまで最も活躍した。『大村嘉代子戯曲集』(昭和8年5月、舞台社)がある。田村俊子とともに演劇活動を行った縁から、俊子没後度々求められてその変転に満ちた一生につき書く。展示資料はそのうちの一編。特に内容豊富なものである。昭和28年5月3日に没する直前の原稿と思われる。

7.野上 弥生子   二人三脚     

初出;婦人公論 1955.11 

同誌の巻頭言。求められて長期にわたり連載したもののうちの一つ。
(1885-1985)大分生まれ。小説家。16歳で上京して明治女学校に入り、この後同郷の野上豊一郎と出会い高等科卒業の明治39年に嫁した。豊一郎とともに漱石門に入り、「明暗」「縁」「七夕さま」等でその激賞を得た。『青鞜』には、翻訳を載せ、女流文学の振興に力を発揮した。昭和50年代に至るまで活動を続け『海神丸』『真知子』『迷路』など多くの名作を残した。

8.平塚 らいてう  食餌療法      

初出;東京日日新聞 1938.8.1号に掲載か

(1886-1971)評論家。東京生まれ。十代の頃から男女差別に疑問を抱く。日本女子大家政科卒業。成美女学校の閨秀文学会に参加し、森田草平とのいわゆる煤煙事件の後、女性だけの文芸雑誌『青鞜』を明治44年9月創刊。中心的存在として編集・経営・執筆に邁進。大逆事件や二つの大戦などに代表される独裁的軍国主義の潮流の中で『円窓より』などの著作が発禁を受けることもしばしばあった。晩年には『元始、女性は太陽であった』など自伝的な著作を発表している。生涯、婦女子の存在価値の尊さや平和を論じた。展示原稿は短文だが、推敲の跡著しい。筆者の気質であろう。

9.森田 たま    女の顔       

初出;随筆集『随筆きぬた』1938・7

(1894-1970)随筆家。北海道生まれ。明治44年に文学を志して上京し、大正2年に森田草平に師事する。大正2年9月「片瀬まで』を『新世紀』に発表。昭和7年には森田草平の推薦で随筆「着物・好色」を『中央公論』に掲載、以後随筆家として文壇に迎えられた。『森田たま随筆全集』(全3巻)が昭和47年に講談社より刊行されている。

10.吉屋 信子    妖婢        

初出;オール読物 1952.9

(1896-1973)小説家。新潟県生まれ。栃木高女時代に投稿した童話「鳴らずの太鼓」が『少女界』に1等入選。熱心な雑誌投稿を経て大正5年から13年まで「花物語」が『少女畫報』に連載され、少女小説の代表作家となる。少女小説の他、長編、短編、童話など幅広いジャンルで活躍。大正11年には『海の極みまで』が映画化、流行作家の地位を不動のものにする。昭和12年『良人の貞操』が完結。映画・舞台でブームを呼ぶ。『安宅家の人々』『女人平家』など著作多数。

11.宇野 千代    糸瓜

初出;不明

(1897-1996)小説家。山口県生まれ。波乱万丈な青春時代を送る。大正4年回覧雑誌『海鳥』を発行するが3号で終わる。大正6年に上京し、様々な職を経て、芥川龍之介や佐藤春夫などの著名な作家と知り合う。処女作「脂粉の顔」が『時事新報』の懸賞短編小説で1等入選。本格的な作家活動に入る。その後も華やかな私生活とともに執筆活動も充実していた。主な作品に『色ざんげ』『おはん』などがある。

12.中条 百合子(宮本百合子)   金色の口    

初出;読売新聞「文壇曲射砲」欄 1937.9.23 河出版全集第15巻に収録

(1899-1951)小説家。東京生まれ。高女の頃からトルストイを愛読。大正5年(17歳)の時中編小説「貧しき人々の群」で坪内逍遥の推薦により『中央公論』に掲載。天才少女と謳われる。アメリカ留学、ソ連遊学などで見聞を広め、プロレタリア作家の同人となる。展示原稿の執筆当時は、日本プロレタリア文学同盟は解散し百合子は安定した活動の後ろ盾を失い、共産党員で獄中の宮本顕治の妻として悪名が高かった。日本共産党の指導下に結成された日本プロレタリア作家同盟の中でも生涯転向しなかった稀な作家である。代表作には「伸子」がある。

13.網野  菊    桃の缶詰

初出;不明。

(1900-1978)小説家。東京生まれ。日本女子大在学中の同期性に中条百合子がいた。処女短編集『あき(秋)』(大正9年12月、国文館より自費出版)。大正末頃から志賀直哉に親炙、その斡旋により短編集『光子』を刊行。志賀の手法に学び、身辺小説に新風を開いた。大戦後、『金の棺』で女流文学賞、『さくらの花』(昭和36年10月、新潮社)で芸術選奨。ついで『一期一会』(昭和42年2月、講談社)で読売文学賞。『網野菊全集』(全三巻、講談社)がある。

14.壷井  栄    明治女

初出;素面 4号 1967.6.15

(1900-1967)香川県小豆島生まれ。小説家。「大根の葉」(『文芸』1938.9)で文壇に登場して以来、『母のない子と子のない母と』(昭和26年4月、光文社)「二十四の瞳」(『ニューエイジ』1952.2?11)等で文部大臣賞(昭和27年)、「風」(『文芸』1954.11)で女流文学者賞などを受賞。展示原稿「明治女」は、『壷井栄全集』にも収録されていない小品ではあるものの、ブルーブラックの万年筆を用い、独特のくずし方をした、彼女の味のある筆致をうかがうことができる。

15.小山 いと子   熱いトタン屋根の上の猫―妻の焦慮と愛慾を描く―

初出;婦人公論か                  

(1901-1989)昭和8(1933)年に「海門橋」(『婦人公論』1933.8,9)で文壇デビュー。製糸工場に取材した「4A格」(『新潮』1938.12)で芥川賞候補となる。戦後は「執行猶予」(『中央公論』1950.2)で直木賞を受賞。                             
 さて、『熱いトタン屋根の上の猫』は『欲望という名の電車』で有名なT・ウィリアムズ脚本の映画である。アメリカ公開が1958年であるから、小山いと子のこの批評もその直後、もしくは数年内のものであることが伺える。原稿用紙にはゴム版で「婦 公」とあり、婦人公論が初出ではないか、と推測されるが未確認。原稿には編集者による大幅な削除がされており、内容を目にすると、当時の婦人雑誌(もしくは日本の倫理観、社会観)には刺激的であった事が伺える。「ダム・サイト論争」を引き起こした作家であるだけに、問題提起がよく見える原稿である。

16.森 三千代    田漢さんのこと

初出;不明

(1901-1977)詩人、小説家。京都府生まれ。東京女高師在学中に金子光晴を知り、結婚。大正14年、光晴と上海へ旅行した後、詩集『龍女の眸』(昭和2・3)『鱶沈む』(昭和2・5)を出す。昭和17年には外務省から文化使節として仏印へ派遣された。小説は身辺に取材した私小説が多く、光晴との関係を描いた『去年の雪』(昭和34・5)などがある。展示原稿もかの地で出会った人の思い出である。

17.森  茉莉    甘い蜜の部屋

初出;新潮 1967.2

(1903-1987)森鴎外の長女。『甘い蜜の部屋』は泉鏡花賞受賞作品で、展示資料はその第2部「甘い蜜の歓び」の直筆原稿。のち、新潮社から刊行(1975.8)。『森茉莉全集』(筑摩書房、1993)に再録。

18.幸田  文    目         

初出;報知新聞《文化欄》1949.7(のちに、婦人画報 1957.6)

(1904-1990)随筆家、小説家。東京生まれ。幸田露伴の娘。昭和22年、雑誌『芸林間歩』が「露伴先生記念号」を特集したとき、父をめぐる生活を内容とした「雑記」を書いた。これが処女作である。昭和30年1月?12月にかけて小説『流れる』を雑誌『新潮』に発表。この作品により新潮社文学賞を受賞。他に『黒い裾』『おとうと』など、多数の作品がある。展示原稿は、鉛筆で書かれた特色があり、「描く」などの漢字の横に仮名(かく)をふるといった、読ませ方にこだわる面を見せている。

19.佐多 稲子    「くれなゐ」の頃と今日 

初出;婦人公論 1958.11

(1904-1998)小説家。長崎県生まれ。小学校5年で退学し就労。本郷動坂のカフェ「紅緑」で女給をしている頃、芥川龍之介や室生犀星の支援を受けることとなる同人誌『驢馬』の参加者である中野重治や堀辰雄らと知り合い、昭和3年に『驢馬』の同人達が左翼運動に入っていくのに影響され『キャラメル工場から』を執筆。その後、中条百合子らとともに日本プロレタリア作家同盟に参加し、共産党に入党した。第二次大戦後も左翼的な文筆活動を続ける。代表作には「くれなゐ」がある。展示原稿は戦時下の自作をめぐる話題を回顧して語るもの。

20.円地 文子    北の新地

初出;太陽 vol.98 1971.8 『女人風土記』(1972.11、平凡社)に収録。

(1905-1986)東京生まれ。劇作家、小説家。大正15年10月、演劇雑誌『歌舞伎』に戯曲「ふるさと」が当選。以後、戯曲や小説の創作で活躍。「ひもじい月日」(『中央公論』1953.12)で女流文学者賞を受賞。その他、代表作に『女坂』(昭和32年3月、角川書店)などがある。展示原稿「北の新地」は、「女人風土記」の総題で『太陽』誌上に15回連載されたものの一篇で、大阪を舞台とした男女(特に女性)の物語について綴ったエッセーであり、旧かなまじりの大胆な筆致は、如何にも明治生まれを思わせるといえるだろう。

21.平林 たい子   里村欣三

初出;里村欣三(解説)現代文学代表作全集2 万里閣 1978.8.15

(1905-1972)小説家。長野県生まれ。思春期にロシア文学や北欧文学に親しみ、ゾラの『ジェミナール』や雑誌『種蒔く人』を読み、社会主義思想に興味を深め、高女卒業時には社会改革に人生の主眼を置いていた。アナーキストのグループに係わるなどした後、昭和2年5月『大阪朝日新聞』に「嘲る」が入選。ついで「施療室にて」が『文芸戦線』に発表されプロレタリア文学者となるが、日本プロレタリア文学同盟の内部分裂に際して労農芸術家連盟を結成。以後、共産党指導下の芸術連盟と対立しながら活動を続ける。第二次大戦中に検挙され、留置所で肺結核と腹膜炎に罹り重態の為釈放され、回復後郷里に疎開して終戦を迎える。終戦当時の作品「冬の物語」「私は生きる」などは政治よりも人間に重点が置かれ、生への力強い執着が見られる。戦後は共産党出身でありながら戦争協力者であった文学者達による新体制の文学潮流に迎合せず、左翼批判をし物議を醸した。「里村欣三」はかつての運動の友連れである。

22.小堀 杏奴    出会い 

初出;むらさき   1972.6.16

(1909-1998)森鴎外・しげの次女。仏英和女学校卒の後、洋画家・小堀四郎と結婚。与謝野寛・晶子夫妻主宰の新詩社に加わり、その機関誌「冬柏」に「外遊だより」、「晩年の父と私」、「父上の事」を発表して注目された。著書に『晩年の父』(1936年、岩波書店)、『森鴎外・妻への手紙』(1938年、岩波書店)などがある。
展示原稿「出会い」は、彼女が文化学院大学部の聴講生として受けた与謝野晶子の源氏物語講義の思い出を綴ったもの。

23.中里 恒子    隣人        

初出;不明

(1908-1987)小説家。神奈川県生まれ。神奈川高女卒業後、「創作月刊」に『明らかな気持ち』『砂の上の塔』の習作を発表。結婚で創作活動を断念するが、後に「文学界」に『花亜麻』が掲載され、川端康成、堀辰雄らの知遇を得る。昭和14年に『乗合馬車』で女性作家初の芥川賞を受賞する。その後も『乗合馬車』連作の登場人物を再登場させた作品や、作家自身の一人娘の見聞によった『鎖』など、人生経験の深みを取扱った作品が見られる。

24.永井 路子    山田寺から薬師寺へ

初出;つるみ 1983.9(本学同窓会誌への寄稿文である)

(1925-)。小説家。東京生まれ。昭和27年に『三条院記』で『サンデー毎日』の懸賞小説に入選。鎌倉三大の時代的特色を捉えた作品『炎環』で第52回直木賞を受賞。『北条政子』『一豊の妻』『乱紋』など激動期に生きる女性の姿を描いた歴史小説が代表作に挙げられる。

25.河野 多恵子   ほんとうの「度胸」を支えとして

初出;婦人公論 1972.1(原稿では「ほんとうの「度胸」に支えられて」、その他編集段階で付け加えられた見出しなども散見する)

(1926-)小説家。大阪生まれ。大阪府女専当時から、人形浄瑠璃に親しみつつ谷崎や鏡花の幻想性にひかれていた。戦後、『文学者』同人となり、習作を発表、昭和36年「幼児狩り」で同人雑誌賞、昭和38年「蟹」で芥川賞をそれぞれ受賞した。代表作に長編「不意の声」同「回転扉」等がある。

26.郷  静子    ブンガクへのはるかな道

初出;新日本文学  1977・10

(1929-)小説家。神奈川県生まれ。わが鶴見高女の卒業生である。戦時中勤労動員の経験があり、戦後は結核のため療養所を転々としながら日本文学学校に通い、野間宏の影響を受けた。『れくいえむ』(昭和42年 文芸春秋)で第68回芥川賞を受賞。他に『文学界』掲載の「成就」「幽霊」「囲いの外へ」などがある。

27.有吉 佐和子   げいしゃ・わるつ・いたりあの(25)

初出;週刊東京 1958.5.17号掲載 1959.1中央公論社より刊行。

(1931-1984)小説家。和歌山生まれ。昭和31年「地唄」が文学界新人賞候補作となり、また、芥川賞候補にも挙げられた。これによって文壇に登場。話題作は「華岡青洲の妻」(昭和46年)である。この作品で第6回女流文学賞を受賞した。昭和59年8月30日没。代表作に「紀ノ川」「恍惚の人」など。
                         
28.冨岡 多恵子   私のアルバムから

初出;不明

(1935-)大阪生まれ。詩人、小説家。大学在学中に処女詩集『返礼』(昭和32年10月)を出版、翌33年第8回H氏賞を受賞した。昭和46年作の「イバラの燃える音」は第66回芥川賞候補となった。「冥途の家族」(昭和32年10月)により第13回女流文学賞受賞。他に『ニホン・ニホン人』『ひべるにあ島紀行』など。

29.吉行 理恵    悲歌    

初出;詩集『幻影』(1965.12 中央公論社刊)

(1939-)詩人、小説家。和歌山生まれ。吉行エイスケの子、吉行淳之介の妹。詩集『幻影』は処女詩集『青い部屋』(昭和38年10月)に次ぐ第二詩集である。「夢の中で」(昭和42年11月)によって第8回田村俊子賞を、「小さな貴婦人」(昭和56年)によって第85回芥川賞を受賞。童話『まほうつかいのくしゃんねこ』『吉行理恵詩集』などがある。

30.金井 美恵子   岸辺のない海(連載第十回)

初出;海 1972.9 1974.3中央公論社より刊行。

(1947-)詩人、小説家。和歌山生まれ。「愛の生活」(『展望』昭和42年8月)が太宰治賞候補作となり、19歳の若さでデビュー。作品世界はアンチロマン風の独特のものである。作品集『夢の時間』詩集『マダムジュジュの家』などがある。