第96回展示
 
 


 

   古典文学への近道

   展示リスト

   解題    
  
    I  表紙の意匠
     II  本の大小
    III  装幀のいろいろ
    IV 料紙の贅沢
    V  版本の力
 
 
古典文学への近道

                   
                                                           文学部教授 高田信敬
 
 

 蚯蚓ののたくったような漢字の草体や変体仮名よりも活字翻刻、注釈があればなお

結構、現代語訳がつけば言うことなし、それでもまだ古典を読むのが面倒とおっしゃ

る向きには、口当たりのよい、もしくは猫なで声の解説まであるこの御時世、機械が

お好きなら、曰くデジタルアーカイブズ、曰く電脳図書館、最新鋭の硬軟(ソフト・

ハード)両面に事欠かぬことのそれはそれとして、ちょっと立ち止まって考えるなら

ば、これら便利なあれこれに従うことは、源泉からどんどん遠ざかることを意味しな

いか。人の手がやたらと加わり、鮮度が落ち、あやしげな添加物が一杯入った料理を

食べさせられるのと、それは似ている。パソコンに打ち込まれた現今の小説はいざ知

らず、筆と墨とで紙の上に生まれ出た文学ならば、可能な限りもとのかたちーなにが

「もと」であるのかについて議論もあろうがーに寄り添ってみるのが望ましく、かつ

とても贅沢な行き方であるように思われる。数百年を経た、味わい豊かな典籍に触れ

るとき、最善最高の方途とは言わないまでも、古典文学への近道の一つを、私たちは

確実に辿る。ともあれ古典中の古典『源氏物語』について、こまかくその内容を知ら

ない方々も、美しく楽しい書物の装いを鑑賞していただきたい。
 

展示リスト

1  源氏物語 蒔絵箱入装飾表紙本  江戸前期写       列帖装 54冊
2  源氏物語 稲葉家旧蔵本  慶長頃写     包背装(くるみ表紙) 33冊
3  源氏物語 龍文刷外題升形本  江戸前期写 伝一乗院尊覚等寄合書
                              列帖装 54冊
4  源氏物語 墨色表紙本  寛文延宝頃写           列帖装 8冊
5  源氏物語(断簡):薄雲巻  鎌倉時代中期写 伝藤原為家筆   軸装 1幅
6  源氏物語 須磨巻抜書  江戸中期写             軸装 1軸
7  源氏物語 須磨 附帚木巻残簡  鎌倉後期写 伝冷泉為相筆 列帖装 1冊
8  源氏物語 賢木  室町初期写               列帖装 1冊
9  源氏双六 袖珍本  江戸後期刊              袋綴 28冊
10 源氏物語 越国文庫本  室町後期写           列帖装 49冊
(参考)源氏物語 澪標  江戸中期写         未装幀列帖装 3くくり
11 源氏物語 永正八年奥書本  江戸前期写       折紙列帖装 44冊
12 源氏五十四帖絵巻 伝狩野探幽図 幽遠斎模写  天保二年(1831)写
                                巻子 3軸
13 源氏物語系図 巣守三位本  室町末期写           折本 1帖
14 源氏物語湖月抄  北村季吟著 延宝元年(1673)跋      袋綴 11冊
15 源氏物語 竹屋光忠奥書本  享保頃写          列帖装 54冊
16 色紙源氏(源氏物語梗概)  江戸初期写            袋綴 1冊
17 源氏小鏡  江戸前期写                   巻子 1軸
18 源氏物語須磨抜書  江戸前期写 伝梶井宮筆         巻子 1軸
19 源氏物語(断簡):賢木巻  室町後期写 伝聖護院満意僧正筆   切 1点
20 源氏物語 伝嵯峨本古活字版  慶長中刊          袋綴 12冊
21 (絵入)源氏物語 山本春正編 承応3年(1654)刊        袋綴 60冊
(参考)源氏物語 奈良絵本  江戸時代前期写          列帖装 2冊
22 (絵入)源氏物語  寛文頃刊                袋綴 30冊

  なお、10参考、17、19は個人蔵

解題

I 表紙の意匠 (付)箱

 表紙は、典籍との出会いにおいて、通常最初に触れる部分である。書物の顔・書物
の玄関口とも言えるこの箇所は、見る者の印象を大きく左右するがゆえに、当然制作
者もしくは注文者の熱意や着想、趣味が反映し、そして財力も注がれる。1から4ま
では、すべて江戸前期に作られた源氏物語であるが、それぞれに凝った意匠を見せ
る。たとえば、各巻ごとにその内容をあらわす金泥下絵を描き(1)、蓮華唐草艶刷
藍表紙に金銀泥海賦文様の外題を押す(2)。背の部分までつつんだ包背装(くるみ
表紙)であるところもおもしろい。あくまで瀟洒な表紙(3)、墨色地に赤の外題が
時代の古びを感じさせない意匠の鮮烈さ(4)など、豊かな個性に心ひかれよう。な
お書物全体を納める外箱にも、しばしば高い評価が与えられる。蒔絵・螺鈿・飾り金
具の漆塗り箱は繊細華麗であり(1)、また大名稲葉家の紋所を示して古雅質実の雰
囲気を湛える(2)。

 1  源氏物語 蒔絵箱入装飾表紙本  江戸前期写 列帖装54冊
    几帳面取りの漆塗けんどん箱、蓋裏および箱側面三方に金銀蒔絵の菊・
    薄・撫子の絵
    縹色地に金泥・金箔にて当該巻の内容にちなむ下絵を施した表紙
 2  源氏物語 稲葉家旧蔵本  慶長頃写 包背装(くるみ表紙)
   33冊(54巻合冊)
    漆箱蓋表に「折敷に三文字」の紋(淀藩稲葉家か)
    表紙中央に、布目紙に金銀泥で細密な海賦模様を描いた題簽
    印記:月明荘
 3  源氏物語 龍文刷外題升形本  江戸前期写 伝一乗院尊覚等寄合書
   列帖装54冊
    薄藍にて鱗形、市松、七宝つなぎ等を刷り出し金銀泥の下絵を施した
    古雅な表紙
 4  源氏物語 墨色表紙本  寛文延宝頃写 列帖装8冊
 

II 本の大小

  現在のA版B版、あるいは新書版と言うような書物の規格が、やはり古典籍の世界
にもあり、写本では四半本(大体A5版くらい)・六半本(一辺16糎ほどの正方
形)を標準とする。しかしこれらの規格からはずれる古典籍も勿論存在し、薄雲巻断
簡(5)は縦30糎に及ぶ堂々の大四半本、伝藤原為家筆鎌倉時代の貴重な資料であ
り、河内本系統の本文を示す。この時代の大型四半本は、多くの場合青表紙本系では
なく河内本系の本文を持ち、書物の規格と本文系統とがある程度の関連を見せてい
る。室町時代初期の賢木巻(8)も大ぶりの写本で、こちらは青表紙本。標準的な六
半本である鎌倉時代後期写の須磨巻(7)と、普通の巻子本の1・5倍ほどもある須
磨巻抜書(6)や、源氏物語にちなむ遊び道具の袖珍本(9)とを比較されたい。

 5  源氏物語(断簡):薄雲巻  鎌倉時代中期写 伝藤原為家筆 軸装1幅
    河内本
 6  源氏物語 須磨巻抜書  江戸中期写 軸装1軸
 7  源氏物語 須磨 附帚木巻残簡  鎌倉後期写 伝冷泉為相筆
   列帖装1冊
    表紙は墨流し地に金銀泥の霞引、切箔・野毛を撒く、外題なし
 8  源氏物語 賢木  室町初期写 列帖装1冊
 9  源氏双六 袖珍本  江戸後期刊 袋綴28冊(56巻合冊)
    五四巻大意目録各一巻、附「源氏双六うちやうの事」
 

III 装幀のいろいろ

 古典籍のさまざまな装幀のうち、平安時代の物語にふさわしい雰囲気を備えている
のは、料紙を重ねて二つ折りし(こうして出来た紙の集まりを「くくり」と呼ぶ)、
その「くくり」を集めて糸綴じにした列帖装(10)である。「くくり」の段階の資
料とあわせて展示した。料紙を上下に折ってから「くくり」を作成すると、折り紙列
帖のやや稀な装幀になる(11)。横に広げて読みあるいは鑑賞するためには、巻子
本(12)・折本(13)が便利である。和古書の最もありふれた装幀は袋綴(線装
とも言う)であり、源氏物語注釈書中最も流布したのが湖月抄だから、袋綴じの湖月
抄はあまりに平凡と言える。しかし特に薄く漉いた雁皮紙を用いる湖月抄(14)は
珍しい。普通の紙(楮紙)を使ったものとは厚さが断然異なるのが、よくおわかりい
ただけよう。薄様刷1冊に柏木・横笛・鈴虫・夕霧・御法以下8巻分が収まり、普通
の紙(楮)使用本は鈴虫・夕霧・御法3巻分だけでほぼ同じ厚さになる

 10 源氏物語 越国文庫本  室町後期写 列帖装49冊
    帚木、空蝉、明石、初音、手習を欠く
    印記:越国文庫(福井松平家)、図書寮、出黌
    (参考)源氏物語 澪標  江戸中期写 未装幀列帖装3くくり
 11 源氏物語 永正八年奥書本  江戸前期写 折紙列帖装44冊(49巻合冊)
    桐壺、夕顔、賢木、早蕨、蜻蛉を欠く
 12 源氏五十四帖絵巻 伝狩野探幽図 幽遠斎模写  天保二年(1831)写
   巻子3軸
 13 源氏物語系図 巣守三位本  室町末期写 折本1帖
 14 源氏物語湖月抄  北村季吟著 延宝元年(1673)跋
   袋綴11冊(60巻合冊)
    献上本(薄様刷特装)
    注釈五四巻、発端・系図・表白・雲隠説各一巻、年立二巻
    印記:雲邨文庫
 

IV 料紙の贅沢

 古典籍の中には、表紙のみならず本文料紙にも趣向を凝らすものがある。天地に金
界を施し、薄緑色で塗りつぶす特異な装飾(15)が目を引く。この部分、実は鍮泥
を使ったらしく、当初は金色燦爛たる美麗な典籍であったろう。色変わり料紙に雲母
で下絵を刷った梗概書(16)、墨流し料紙にゆったりと写された源氏小鏡(1
7)、金銀泥の下絵巻子本(18)、藍と紫の雲紙断簡(19)など、制作者の思い
入れがどの書物からも伝わってくる。なお(19)は室町時代後期の巻子本の切で、
河内本系統の本文を持つところがおもしろい。

 15 源氏物語 竹屋光忠奥書本  享保頃写 列帖装54冊
    朽葉色地に寿字・宝尽しの銀襴表紙は後補
    本文料紙天地約三糎の所に金界を引き、その上下を薄緑で塗りつぶす
    特異な装飾
    印記:村井氏蔵(村井順)
 16 色紙源氏(源氏物語梗概)  江戸初期写 袋綴1冊
    桐壺から篝火を存す
 17 源氏小鏡  江戸前期写 巻子1軸
    墨流し料紙
 
18 源氏物語須磨抜書  江戸前期写

   伝梶井宮筆 巻子1軸

   本文料紙は間似合

   印記:嶋氏

 19 源氏物語(断簡):賢木巻  室町後期写 伝聖護院満意僧正筆 切1点
    雲紙
 

V 版本の力

 一字一字手で写す写本は当然大量生産にはむかず、したがって源氏物語のような大
部の作品はもとより、小さな歌集・物語であっても、その経済的価値はすこぶる高い
ものであった。ところが江戸時代初期以降、わが国の古典文学が印刷され始めると、
ある程度の数量を制作することが可能になり、現在よりは勿論高価であるにせよ、広
い範囲の人々の手に入りやすくなった。そうした印刷物のうち、最初期の一つであ
り、本阿弥光悦風の字体を用いて作られたのが伝嵯峨本源氏物語(20)。典籍全体
にあふれる品格は、慶長文化の高さを示す。本文に新しく絵を添えて親しみやすくし
た版本(21)が出版されると、その影響はきわめて強く、これにならって豪華な奈
良絵本も作られ(図柄の一致するところに注目)、さらに簡便な小型本が続く(2
2)。この小型本を愛読したのが与謝野晶子であり、夏目漱石もまたこれを所蔵して
いた。版本の力はなかなかに大きい。

 20 源氏物語 伝嵯峨本古活字版  慶長中刊 袋綴12冊
    平仮名交じり、連続活字使用。慶長初年刊の10行本に続く二番目のもの
    表紙は刈安無地(胡蝶)、他は赤香色無地
    印記:瀬能蔵書、飯山宮之印、臨野堂文庫
 21 (絵入)源氏物語  山本春正編 承応3年(1654)刊 袋綴60冊
    附 系図、山路の露、引歌各一巻、目案三巻
 (参考)源氏物語 奈良絵本  江戸時代前期写 列帖装2冊
 22 (絵入)源氏物語  寛文頃刊 袋綴30冊(60巻合冊)
    附 系図、山路の露、引歌各一巻、爪印三巻
    印記:芦沢蔵書、尚友亭